空を飛び、未来を予言した聖徳太子 /超能力大全

編=オカルト雑学探究倶楽部

聖徳太子の『未来記』

聖徳太子――厩戸皇子(うまやとのおうじ)――といえば、古代日本における代表的な人物だ。

だが、聖徳太子にはいわゆる奇跡譚、超能力を発揮したとしか思えないような話がいくつも残されている。

たとえば日本の正史とされる『日本書記』でさえ、次のような記述が見られる。
「太子は生まれて程なくものを言われたといい、聖人のような知恵をおもちであった。聖人してから、一度に十人の訴えを聞かれても、誤られなく、先のことまでよく見通された」(『全現代語訳 日本書記』宇治谷孟より)

10人の訴えを同時に聞いても聞き間違いがないということ自体、すでに超能力者のようだが、注目すべきは最後の「先のことまでよく見通された」という下りだ。というのもこの部分は、『日本書記』の原文では「兼知未然」となっているからだ。素直に読めば「兼ねて未然を知る」――未然とは、まだそうならないという意味だから、ようするに未来予知を意味しているのである。

実際のところ――聖徳太子の「予言書」といわれる謎の書物もいくつかある。

たとえば聖徳太子創建と伝えられる大阪の四天王寺。後醍醐(ごだいご)天皇に仕えた楠木正成(くすのきまさしげ)は、この四天王寺でひそかに太子が書いた「未来記」を読んだらしい。そういう記述が『太平記』に見られるからだ。もちろん『太平記』が史書なのか軍記物なのか、解釈によって意見は分かれる。だが、作家の中山市朗は四天王寺某関係者から、いまもなお四天王寺には聖徳太子の『未来記』が現存しているという話を聞いたとコメントしているのである。

聖徳太子の未来予知を記したとされる書物が、世の中に出たこともある。江戸時代に刊行され、焚書となった『先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんぎたいせいきょう)』だ。

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聖徳太子の「予言」が含まれた『先代旧事本紀大成経』。

 

これは70巻以上にもなる膨大な歴史書だが、そのなかに「未然本紀」というパートがある。「未然」――『日本書記』の記述と同じタイトルがつけられたこのパートは、西暦622年から100年単位で未来を語ったとされる、聖徳太子の「予言」なのである(ただし、この『先代旧事本紀大成経』については、偽書説も根強いことだけは記しておく)。

 

富士山における修行

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さまざまな奇跡を起こした超能力者=聖徳太子。

 

聖徳太子の超能力についてはほかに、空中浮揚もある。

延喜17(798)年に書かれた『聖徳太子伝暦』(藤原兼輔)によれば、聖徳太子は馬に乗って空を飛び、富士山頂を越えたというのである。

――推古(すいこ)天皇6(598)年4月のこと。聖徳太子は、諸国から献上させた数百頭の良馬のなかから、全身が黒く四肢が白い「甲斐の黒駒」を神馬であると見抜いた。そこで調使麿(ちょうしまろ)に命じて調教させ、同年9月になって聖徳太子がまたがったところ、馬はたちまち天高く飛びあがり、調使麿とともに雲のなかに消えてしまった。

太子は3日後に帰ってきたが、馬に乗ったまま東国へ赴き、富士山を超えて信濃国をまわってきたと語ったという――

黒駒というのは、全身が黒い神馬のことだ。神の馬だから当然、ほかの馬とは違うわけだが、空を飛ぶというのはどういうことなのか。もちろん馬の力も大きいだろう。だかしかし、そんな神の馬を操るだけの超能力を、聖徳太子が備えていたと考えるほうがはるかに理解できる。

じつは富士山周辺には、日本の超古代史を記したとされる『富士宮下文書』という超古代文献が伝えられている。それによれば、聖徳太子は若き日に富士山に入り、そこで叡智を得たというのである。

だとすれば、未来予知も空中浮揚も、このときの富士山の「修行」で得たものかもしれない。

前述の、複数の人々の言葉を同時に聞き分けたという超人的なエピソードにしても同様だ。いや、さらに想像をたくましくすれば、もしかすると冠位十二階や十七条憲法といった聖徳太子の革新的な政策は、この富士山で得た叡智をもとに生まれたものとも考えられるのだ。

 

(「決定版 超能力大全」より掲載)

編=オカルト雑学探究倶楽部

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