
チチェン・イッツァ 数万年を読む暦の遺跡/ムー的古代遺跡
文=並木伸一郎
チチェン・イッツァ 数万年を読む暦の遺跡
1988年に世界遺産に登録された後古典期マヤの遺跡チチェン・イッツア(泉のほとりのイッツア人の意)。その繁栄を示す象徴がマヤの最高神ククルカン(ケツァルコアトル)を祀るピラミッド、カスティーヨだ。
9段からなる階段式のピラミッドで、基底部は55・3メートル四方、高さは24メートル。四面それぞれ91段の階段が彼らの叡智を示す証しだ。四面の段数を足した364段、これに最上段の神殿1段を足すと、365段となり、太陽暦の1年を示している。さらに、階層9段は中央の階段で二分されるために18段。これはマヤ歴の1年(18か月5日)を表している。
さらにもうひとつ、このピラミッドには秘密がある。春分の日と秋分の日の太陽が沈むときだけ、真西から照らされた階段の西側に一直線の影が差すのだが、その影は北面の階段の最下段に刻まれたククルカンの頭部の彫刻とつながり、ヘビの姿をしたククルカンの御姿を現出させる。カスティーヨが「暦のピラミッド」とも呼ばれる由縁である。

天文学と建築の技術は、カラコルと呼ばれるカタツムリ型の天文台にも見ることができる。全高約13メートルのドームには縦に細長い窓が刻まれ、子午線や月没の最北線など、天体観測の重要な照準線となる。天体望遠鏡すら有していなかったにもかかわらず、正確な暦を有し、利用していたのだ。

彼らは先進的な天文知識に対してメソポタミアの古代文明よりも未発達な産業基盤しか持たなかった。そして「聖なる泉」に生きた人間を投げこみ、「戦士の神殿」では人の心臓を捧げるという凄惨な生け贄儀式を行っていた。突出して高度な天文学、都市建設技術に比して、他の分野の成熟が不自然だという指摘もある。特定の分野に限った叡智はどこから得られたのか?
その謎を解く鍵が、今のところ見つかっていないのだ。
(「ムー的古代遺跡」より掲載)
文=並木伸一郎
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