「七福神」の謎(6) 大袋にあらゆる福徳を詰める 布袋和尚

文=本田不二雄

弥勒の化身ともいわれる遊行僧

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布袋和尚。狩野孝信/1616年/メトロポリタン美術館。

 

太鼓腹をさらして呵々大笑。見ているこちらも太平楽な心地になる。それが「布袋和尚」だ。9~10世紀、中国・唐の時代の明州(浙江省寧波市付近)に実在したといわれ、釈契此という名前も残っているが、トレードマークの大きな布袋をいつも背負っていたことから「布袋」と通称されている。

そもそも、出自も素性もきわめて曖昧で謎めいた存在である。僧侶だったというが、寺に住するでもなく、各地を遊行して歩く者だったという。あの大袋も、生臭ものでも何でも構わず、施しを受ければその中に入れて持ち歩いたものらしい。

さまざまな逸話が伝えられている。和尚が雨支度をすれば雨が降った。和尚が屋根のないところで野宿をしたら雨は決して降らなかった。また、ときに人に頼まれれば、その人の吉凶をピタリといい当てたともいう。

このことから、「未来を知る予言者=未来仏・弥勒」との連想がはたらいたのだろうか、いつしか弥勒の化身として崇められることになった。

その世評を後押ししたのが、彼が残したとされるこの偈文である。「弥勒真弥勒、世人は皆識らず云々」(弥勒〈自分〉は、本当の弥勒菩薩なのだが、世の人はみな、そのことを知らない)。

その最期も不思議だった。貞明2年(916)に岳林寺にて亡くなったとされるが、埋葬されたのち、後日別の場所で見かけられたという。このため、いったん死んだのちに生返り、他所で仙人になった「尸解仙(しかいせん)」とも伝わる。

しかし、これらはあくまで伝説である。和尚はなぜ、この国で七福神の一に列せられるまでになったのか。日本では、鎌倉時代から布袋は禅画の題材として好んで描かれてきた。それは一所不在の遊行僧であったというこの僧が醸し出す「とらわれのなさ、身心脱落した境地」が禅者の理想とされてきたからであろう。

もちろん、その容貌が円満な人格と広い度量を体現し、大袋が富貴繁栄をもたらす象徴とされたこともあるだろう。その袋はまた、「堪忍袋」ともみなされているが、堪忍すべきは袋に詰め込んで、笑い飛ばすのが肝要と、和尚は教えてくれているのかもしれない。

ともあれその面目は、小賢しい智慧や神秘めいた霊験などを吹っ飛ばす破顔そのものにある。さまざまなものにとらわれ、しがらみ多きはこの世の常である。この像が選ばれ、外せなかったのは、この洒脱な笑顔に多くの人が心癒されてきたからにちがいない。

 

(月刊「ムー」2015年2月号)

文=本田不二雄

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