週刊ムー語教室/世界各地に残る「古代核爆発の痕跡」

文=ムー語講師・こざきゆう

焼け焦げた白骨、ガラス化した砂礫……

知っているようで知らない〝ムー的用語=ムー語〟をわかりやすく解説する、「週刊ムー語教室(毎週火曜日)」。今週のテーマは「古代核爆発の痕跡」。世界各地に残された遺構から、有史以前に遡る人類と核戦争の歴史を紐解きます!

 

第26回:古代核爆発の痕跡

【必修!3ポイントでわかる古代核爆発の痕跡】

1:太古の時代に世界各地で核兵器による爆発が起きていたかもしれない

2:モヘンジョ・ダロには核爆発を思わせる痕跡が数多く見つかっている

3:カッパドキアは核シェルターで、アフリカ・オクロ鉱山は原子炉だった!?

 

「今から数千年前の太古の時代、人類は核兵器による戦争を体験していた!」

そんな話をあなたは信じられるでしょうか。核兵器といえば近代の兵器ですが、なんと、古代にも核による爆発があったとしか考えられないような痕跡が残されているのです。

nuclear5_web(↑現地の言葉で「死の丘」を意味するモヘンジョ・ダロ)

“核爆発の痕跡”として代表的なものに、紀元前3000年ごろのインダス文明最大の都市遺跡として知られるモヘンジョ・ダロがあります。この遺跡は紀元前1800年ごろに突然、滅んだと考えられているのですが、その理由こそが、核爆発だというのです。

というのも、周辺からは、一瞬のうちに高温にさらされて死んだと思われる人々の骨が発見されており、しかも、強度の放射線も検出されたからです。

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(↑モヘンジョ・ダロの遺構から出土した白骨。その一部には、高温で熱せられた焦げ跡が見られる)

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(↑高温加熱ですっかり変形した遺物)

また、モヘンジョ・ダロから約5キロ離れた「ガラスになった町」と呼ばれる場所では、ガラス化した砂礫や、半溶解したレンガ、土器が発見されています。これらは、1500℃もの高熱で短時間熱せられないとできないものです。そのため、「ガラスになった町」こそが、太古の核爆発の爆心地だと推定されています。

 

古代の核爆発の痕跡は、モヘンジョ・ダロとその周辺に限りません。「ガラスになった町」同様に、高温にさらされてガラス化した砂礫は、実は世界各地で見つかっています。

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(↑ペルーのサクサイワマン遺跡にも、表面がガラス化した巨石がある)

たとえばサハラ砂漠南部では、油田調査をしていた技師が、緑色のガラス層を発見しました。これはアメリカ、ニューメキシコ州ホワイトサンズの原子爆弾実験場で見られる、核による高温で緑色にガラス化した砂漠の砂によく似ているのだといいます。

砂漠だけでなく、遺跡の一部がガラス化したものも、ペルーのサクサイワマン遺跡はじめ枚挙にいとまがありません。

nuclear3_web(↑トルコのカッパドキア。核の高熱で焼かれたことによって色とりどりの地層が現れているという説も)

太古に核が使われている環境ならば、核から避難するための場所があったとしても不思議はありません。トルコのアナトリア高原にあるカッパドキアは、地下20階、大小30の地下都市からなり、10万人が暮らすことができたとされる遺跡です。これだけ大規模でありながら、人々が生活していた痕跡はありません。このことから非常時の避難場所ーー核戦争に備えて建設された核シェルターを思わせます。また、カッパドキアの地上部分は高熱にさらされ溶けたかのような奇妙な形をしています。これにも核と結びつくような何らかの意味があるのかもしれません。 nuclear_web(↑カッパドキアの地下都市は、核シェルターとしての役割を担っていたのかもしれない)

また、核エネルギーが太古に使われていたとすれば、原子炉が存在していたと考えるのも自然なことです。実はそれを思わせるものが、約20億年前のウラン鉱山から発見されています。場所はアフリカのガボン共和国オクロ地区。ここでは、天然ウランが60万年間にわたり核分裂反応をしていた跡があるのです。理論上、天然の原子炉ができることはあるようですが、古代の核爆発の事例を鑑みると、太古に核エネルギー技術が存在した可能性も否定できません。

文=ムー語講師・こざきゆう

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