週刊ムー語教室/峻険の地に築かれた謎の都市「マチュピチュ」

文=ムー語講師・こざきゆう

インカの黄金が隠されている?

知っているようで知らない〝ムー的用語=ムー語〟をわかりやすく解説する、「週刊ムー語教室(毎週火曜日)」。今週は、険しい山中にひっそり眠っていたインカ帝国の都市遺跡「マチュピチュ」をご紹介します!

 

第48回:「マチュピチュ」

1:アンデス山中の標高2400メートルの険しい地で、偶然、発見されたインカ帝国の都市遺跡「マチュピチュ」。

2:城壁に囲まれ、神殿や王宮、住居、豊かな自給自足を可能とする計画都市だった。

3:これほどまで険しい地に都市を築いたことが最大の謎。じつは宗教施設だったとも。

 

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15~16世紀にかけて、ペルー南部のクスコを中心にアンデス山中で一大文明を築いていた国家インカ帝国。1533年にスペイン人によって滅ぼされましたが、その際、インカ最後の皇帝が、莫大な黄金をアンデス山中に隠したという伝説が残されました。この黄金を求めた探検家が、偶然発見した都市遺跡が「マチュピチュ」です。

インカの黄金伝説は数多くのとレジャー・ハンターたちを魅了しました。18世紀のアメリカの探検家ハイラム・ビンガムもそのひとりでした。

1911年、ビンガムの数回目のアンデス山黄金探索の最中のこと。案内役のインディオから、「峰の懐にある廃墟に案内できるが」と提案されたビンガムは、その申し出を受けました。そして、険しい山をわけ行り、標高2400メートルに達したとき、彼の目ににわかに信じられない光景が飛び込んできたのですーーそれは、夢にまで見た黄金の山とはほど遠い、草木にうもれた石のテラスでしたが、ビンガムはただならぬ遺跡だと感じました。これが、のちに「20世紀最大の考古学的偉業」のひとつとされる、マチュピチュだったのです。

それまでも、多くの探検家がアンデス山中に足を踏み入れているにもかかわらず、ビンガム以前、マチュピチュを発見できなかったのは、その標高だけでなく、人の到来を拒むかのような切り立った山にあり、山裾からは見えない窪地にあったためでした。これが「天空都市」とも呼ばれる所以となっています。

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ビンガムの発見以降、マチュピチュの発掘調査が進むにつれ、驚くべき事実が次々と判明していきました。マチュピチュの城壁に囲まれた敷地約40万平方キロメートルには、神殿や王宮、住居などが密集。水路が敷かれ、斜面には段々畑が広がり、高地でありながら、自給自足の豊かな生活が可能なほどの完全な計画都市であることが明らかとなったのです。

しかし、なぜ、このような険しい場所に、これほどの都市を築く必要があったのでしょうか。まさにそれこそが、マチュピチュ最大の謎です。

一説には、インカ帝国を滅ぼしたスペインの侵攻から逃れるため、やすやすとは近づけない都市を築いたというもの。また、皇帝の避暑地として築かれたというものもあります。
このように諸説あるなか、もっとも有力とされるのが、ある種の宗教施設だったのではないか、というものです。

というのも、マチュピチュ周辺の洞窟からは170体ほどの人骨が見つかっているのですが、その90パーセントが女性なのです。つまり、マチュピチュは男子禁制の神聖な場で、遺骨は巫女のものだったのではないかと推測されているのです。

また、インカ帝国で重要視された太陽神崇拝のためにつかわれた聖石も祀られており、これもまた宗教都市だったことの根拠となっています。

ほかにも謎はまだあります。文字を持たなかったインカ文明には、マチュピチュの記録は当然、ありません。したがって、これほどの都市を築くための巨石を、どのようにして山の上に運んだのでしょうか? そして、マチュピチュは豊かでありながら16世紀までになぜ、突然、放棄されたのでしょうか? その答えを、私たちはいまだ、得られていないままなのです。

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文=ムー語講師・こざきゆう

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