ジーン・ディクソンが予言したケネディ家の悲劇/超能力大全

編=オカルト雑学探究倶楽部

 大統領暗殺のヴィジョンを「見た」予言者

1963年11月23日、アメリカのテキサス州ダラスで、オープンカーに乗ってパレード中のJ・F・ケネディ大統領が射殺されるという大事件が起こった。

アメリカの未来を担う政治家として期待され、43歳の若さで大統領に就任してから、わずか2年10か月と2日後に起こった惨劇。しかも事件は、衛星中継の最中に発生したものであり、悲劇を世界中の人々が目にするという二重にショッキングな事件だった。

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ケネディ大統領射殺の犯人とされたのは、リー・ハーヴェイ・オズワルドという青年である。だが、彼もまた事件の2日後に暗殺されてしまったため、真相についてはいまもなお多くの謎に包まれている。

じつは、この悲惨な暗殺事件を予言した人物がいた。アメリカの予言者、ジーン・ディクソン(1904~1997)だ。

彼女はまず、暗殺から11年も前の1952年に雨が降る聖マタイ大聖堂で、「1960年に青い眼をした大統領が誕生する」というヴィジョンを見た。しかも1956年5月には雑誌「パレード」誌上で、「1960年のアメリカ合衆国大統領選挙では民主党候補が勝利するが、その人物は執務室で暗殺されるか死ぬだろう」と予言したというのだ。

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彼女が見たヴィジョン通り、1960年にケネディ大統領が誕生する。最初の予言はぴたりと当たった。

問題は後者の予言だ。

事件が起こる前年の1962年11月のはじめ、パーリー・コープ夫人という海軍少将未亡人との食事中、突然、ディクソンはこう口走った。

「あの人が撃たれる!」
「あの人って、どなたのことですか?」

コープ夫人が尋ねると、彼女ははっきりと、「大統領です!」と、答えたのだ。

殺事件が起こったのは週末だったが、同じ週の火曜日にも、ディクソンは会食していたチャールズ・ベンダーという男性に、「大統領が射殺されます」と語っている。

ちなみにこのふたつの証言は、のちに記者によって事実と確認されている。

さらにいえば事件当日の朝にも、仲のいい友人との朝食のテーブルで、彼女は「今日こそが運命の日です」と最終的な予言まで行った。それが現実となったのである。

 

ルーズベルトの死も予言

ジーン・ディクソンは、その後もケネディ家に続いた不幸を次々と予言し、ことごとく的中させていった。

1964年6月20日にエドワード・ケネディ上院議員が自家用機で飛行中に墜落して重傷を負ったことも、1968年6月5日にロバート・ケネディ司法長官が暗殺されることも、彼女は事前に語っていた。

とくに後者の事件が起こる前には、ありとあらゆる手段を講じて本人に会い、直接警告を与えようとしたが、それはかなわなかったといわれている。

なお、ディクソンはそれ以外の大統領についても、すぐれた予知能力で死の時期を予言していた。

第2次世界大戦中のこと。彼女は当時のフランクリン・ルーズベルト大統領に、ホワイトハウスへ2度、招かれた。最初は国際情勢について聞かれたので、戦争後の未来に起こる米ソの冷戦対決について予言し、詳細な説明をした。そして2度目に招かれたときには、ルーズベルト大統領が自ら自分の死期を聞いてきたのだ。

じつは、相手に死期を告げるのは、予言においては絶対的なタブーだといわれている。だから彼女は、その年の上半期中に仕事は終わらせておくべきだと、やや婉曲的にアドバイスをした。

彼女のアドバイスは正しかった。ルーズベルト大統領は予言どおり、その年の4月に亡くなったのだ。

ちなみにジーン・ディクソンが日本を訪れたときには、政財界の大物たちがこぞってアドバイスを求めたといわれている。為政者たちは、彼女の力が「本物」であることを知っていたのかもしれない。そうだとしても、十分にうなづける話しなのである。

 

(「決定版 超能力大全」より掲載)

編=オカルト雑学探究倶楽部

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