
月の裏側を念写した男・三田光一/超能力大全
編=オカルト雑学探究倶楽部
遠隔透視と遠隔念写に成功!
福来友吉博士が御船千鶴子や長尾郁子の超能力実験を行っていたころ、宮城県に三田光一という36歳の青年がいた。彼は、当時の新聞で報道された長尾郁子の実験を目にして、念写に大きな関心を抱くようになった。
彼は幼いころから不思議な能力をたびたび発揮しており、周囲から不思議がられていたという。それだけに、福来博士の実験は他人事ではなかったのだ。
大正6年に福来博士と出会った三田は、数数の念写実験を成功させていった。
もちろん実験に用いられた写真乾板は福来博士によって厳重に封印され、すり替え不可能な状態にされている。また、念写する対象も旧知のものや身近なものではなく、たとえば遠くの東京・浅草観音堂の裏に掲げてある額面の文字を遠隔透視によって読み取り、乾板に念写するようになどと指示されたのだ。
ところが三田は、その文字「南無観世音」をあっさりと遠隔透視し、念写も見事に成功して見せた。それは三田にとっては序の口で、彼の真骨頂はそのあとの実験にあった。
昭和6年、福来博士は三田に「月の裏側」の念写実験を提案。そのとき博士は三田に、こういったという。
「月はいつも同じ側面だけを見せていて、裏側はだれも見ることはできません。しかしあなたなら多分、透視能力で見られるはず」
この年の6月24日、福来博士は大阪の自宅で、2枚の写真乾板を箱に納め、厳重に蓋をした。時刻は午前8時20分だった。
同時刻、三田は博士の家から40キロも離れた兵庫県神戸の自宅にいた。立会人もいて、不正が行われないかしっかり監視されている。そして三田は、月の裏側を遠隔透視し、そのイメージをそのまま、福来博士のもとにある乾板に遠隔念写したのだ。
8時30分、博士が乾板の現像を行うと、そこには当時の人類がだれも見たことがなかった「月の裏側」がリアルに念写されていたのである。
(「決定版 超能力大全」より掲載)
編=オカルト雑学探究倶楽部
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