「心」が浮かんだ!? 世界初の念写実験に成功!/超能力大全

編=オカルト雑学探究倶楽部

長尾郁子が見せた高度な念写能力

御船千鶴子(みふねちづこ)とほぼ同じ時代、もうひとりの女性超能力者が香川県で話題になっていた。彼女の名前は長尾郁子(ながおいくこ)。丸亀市在住の判事夫人だった。

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彼女は予言・予知を得意とし、なかでも自然災害についてはよく当たるということで、地元でちょっとした有名人になっていた。そんななかで御船千鶴子の千里眼実験の報道を目にし、自分でも透視実験を行ってみたのだ。すると見事に的中し、その噂が福来博士の耳に届いたのである。

福来博士にとって心強かったのは、郁子は同席者と相対して透視を行うことを苦にしない、ということだった。

最初の実験は、1910(明治43)年12月26日に彼女の自宅で行われた。

福来博士は、御船千鶴子の実験の苦い経緯から、あるアイデアをもっていた。文字や絵を紙に書いたのでは、透視に成功したとしても、すりかえやのぞき込みの疑いを晴らすのが難しい。そこで博士は、写真乾板に文字を写しこみ、未現像のまま遮光紙に包んで透視させるという方法を思いついた。これなら、文字を見ようとして紙を明けたとたん、乾板はたちまち感光してしまう。トリックの入り込む余地がない、というわけだ。

そこで「哉天兆」という文字が撮影され、遮光紙で包まれた。だが郁子はそれでも、見事に的中させたのである。そしてこのとき、ひとつの副産物が生まれた。

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乾板を現像すると、文字の周囲に奇妙な光のようなものが浮かびあがっていたのだ。

それを見た博士は、もしかすると彼女の精神には、乾板を感光させるパワーがあるのではないか、と考えた。そこで今度は、乾板に「心」という文字を念じこんでほしい、と頼んだのだ。現像してみると――はっきりとした文字ではないが、たしかに文字が崩れてしまったような画像が写っている。これこそまさに、世界初の念写成功の瞬間だった。

福来博士はこれを、光による感光ではなく、精神力(念波)による現象だと見なし、「念写」と名づけたのである。

 

厳重なる実験

さて――翌1911(明治44)年1月6日、山川博士立ち会いのもとで再び長尾郁子の念写実験が行われた。

長尾郁子はこの日、福来博士、山川博士ら7名の立会人に囲まれていた。

山川博士が「正」と書いた紙を床に置くと、郁子はしばらく紙を前に念じたあと冷水で口をすすぎ、再び精神を集中した。次に山川博士が自分の鞄から金属製の小さな鞄を取りだす。鍵を外すと、出てきたのは黒色の紙で頑丈に包まれ、なおかつボール箱に入れら

れた写真用乾板だった。この乾板は福来博士の膝の上に置かれたままで、郁子は触っていない。そして郁子の念写が開始された。

「『正』の字は確かに乾板に入りました」

郁子が宣言すると、山川博士が急いで乾板を近くの写真館にもっていき、即座に現像を試みた。するとたしかに「正」の文字が鮮明に写っていた。しかもそこには、乾板にすりかえを防ぐために山川博士がひそかにつけておいた、文字の右上の黒丸もはっきりと確認できたのだ。

しかし、山川博士は納得せず、ひそかにラジウムを照射して、文字を写しだしたのではないかと主張。1月8日にまたもや実験が行われることになった。

写すべき文字は「健」。山川博士の名前「健次郎」からとったものだった。ところがここで郁子は、意外なことをいいだす。

「念写はできません! 箱のなかに乾板は入っていないではありませんか。入っているのは、ぴかぴか光る十字形のものだけです」

山川博士は驚き、あわてて箱を調べた。するとたしかに乾板は入っておらず、ラジウムが照射されたときの「証拠」としてひそかに入れられた十字形の鉛板があるだけだった。

郁子は、まさにそれを「透視」したのだ。

山川博士は不手際をわび、3度目の実験を依頼する。しかし、それはもうかなわなかった。それから間もない2月26日に、彼女は肺炎を患って急死してしまったのである。

 

(「決定版 超能力大全」より掲載)

編=オカルト雑学探究倶楽部

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