週刊ムー語教室/霊水が病も癒す!?「ルールドの泉」

文=ムー語講師・こざきゆう

マリアが示した奇跡の泉

知っているようで知らない〝ムー的用語=ムー語〟をわかりやすく解説する、「週刊ムー語教室(毎週火曜日)」。今週は、「ルールドの泉」。マリアの啓示で開かれ、難病を癒した伝説も数多く伝わる聖地です。

 

第53回:「ルールドの泉」

1:「ルールドの奇跡」は、カトリック教会が公式に認める“聖母の出現”の事例のひとつ。

2:1858年、フランスの田舎町ルールドの洞窟で、少女ベルナデットの前に聖母マリアが出現し、泉を掘らせた。

3:泉の湧き水は癒しの奇跡をもたらし、早逝したベルナデットの遺体は腐敗しない奇跡を起こしている。

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「ルールドの泉の奇跡」は、「ファティマの奇跡」(「ムー語教室」第45回)などと並び、カトリック教会が公式に“聖母の出現”として認める24の事例のひとつです。今回の「ムー語教室」では、このルールドの泉の奇跡について、みてみましょう。

フランス南西部、ピレネー山脈の山麓に、ルールドという町があります。

1858年2月11日、この町に住む敬虔なカトリック教徒の娘ベルナデット・スビルーは、妹、友達と、山中で薪拾いをしていました。そのさなか、ベルナデットにだけ、風のような音が聞こえてきました。彼女が辺りを見回すと、崖の洞窟が目に止まりました。そこには、白いガウンをまとった貴婦人が微笑みを浮かべて立っていたのです。

ベルナデットは、その洞窟の貴婦人の神々しい姿に魅せられ、祈りをささげるため、洞窟へ通いはじめました。

やがて、「ベルナデットが神聖な存在と洞窟で会っているらしい」という噂が広がり、彼女の祈りを見物する人が次第に増えていきました。もちろん彼女にしか洞窟の貴婦人の姿は見えませんが、見物人にも洞窟内に広がる荘厳な雰囲気は感じられたため、集まる人々は日を追うごとに増えていきました。

そんな日々が続く2月25日のことです。400人もの人々が見守るなか、ベルナデットは洞窟の貴婦人に示された洞窟の地面を掘りました。すると、泉が湧きだしたのです。この湧き水が、後日、癒しの奇跡を起こしました。3月1日、1500人にふくらんだ見物人のうち、麻痺から指が動かなくなっていた女性が湧き水に触れると、治癒してしまったのです。この話は瞬く間に広まり、洞窟は聖地として崇められ、さらに多くの人々が祈りを捧げに訪れるようになっていきました。

これほどの出来事ながら、しかし地元の司祭はベルナデットの話を信じていませんでした。洞窟の貴婦人がベルナデットに「洞窟に聖堂を建てるよう司祭に伝えなさい」と告げていましたが、司祭は「その女性の名前がわからないのでは建てられない」と返しました。

そこで3月25日、ベルナデットは、貴婦人が出現すると、その名を問いました。すると貴婦人は微笑み、「ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・コンセプシアウ」と答えたのです。ベルナデットにはその意味がわかりませんでしたが、彼女からこの言葉を聞かされた司祭は驚きました。「私は無垢の受胎です」、すなわち「聖母マリア」を意味するラテン語だったからです。田舎町の少女がそのような言葉を知るとは思えません。司祭は、貴婦人の話が真実だったことを悟り、聖母マリアの現れた洞窟前の広場地下に聖堂を建設したのです。さらに、1876年には洞窟の上に大聖堂も建立されました。

現在、ルールドは数あるキリスト教の聖地でも、もっとも有名な場所のひとつとなりました。ベルナデットが掘った泉の湧き水は、万人に効力があるわけではないものの、多くの巡礼者たちに癒しの奇跡をもたらしつづけています。

また、この奇跡の当事者ベルナデットは、その後、ヌヴェール愛徳修道院に入り、修道女としての日々を送り、1879年に35歳という若さで亡くなりました。しかし、彼女の遺体は腐敗することなく、現在もヌヴェール愛徳修道院の地下に安置されています。この事実もまた、聖母出現がもたらした、もうひとつの奇跡といえるかもしれません。

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文=ムー語講師・こざきゆう

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