親鸞は「聖書」を読んでいた!? 浄土真宗とキリスト教の謎

文=古銀剛

キリスト教と浄土真宗の類似性

「浄土真宗は、イエスなき福音だ」――。

これは、ドイツの著名な神学者カール・バルト(1886~1968年)の言葉だ。キリスト教と仏教の浄土信仰を比較考察したバルトは、イエスの教えと、浄土信仰、とくに鎌倉時代に親鸞(1173~1262年)によって開かれた浄土真宗の教義との、驚くほどの親近性に気づいたという。

たしかに、阿弥陀如来への絶対的な帰依を説く浄土真宗は、さまざまな仏・菩薩への信仰を肯定する仏教諸宗派のなかにあって、一神教的な性格を濃く帯びており、神ヤハウェを唯一絶対の存在とし、その神のみを信仰するキリスト教の姿勢と相通じるものが感じられる。

阿弥陀如来『十王寫』(国立国会図書館蔵)。
阿弥陀如来『十王寫』(国立国会図書館蔵)。

また、浄土真宗の教義のもうひとつの特色である「他力」、すなわち「自己の力で悟るのではなく、阿弥陀如来の力によって極楽浄土に往生する」という概念には、「神の救い」「キリストによる人類の救済」といったキリスト教教義の核心ともよく親和するように思える。

そもそも、浄土真宗がいう「極楽浄土」は、キリスト教の「天国」と極めてパラレルな関係にあるといえるだろう。

このようなキリスト教と浄土真宗の類似は、はたして偶然なのだろうか? それとも、両者には歴史的に何らかの影響関係があったのだろうか? さらにいえば、浄土真宗の祖師である親鸞その人が、聖書を読んでいた可能性はあるのだろうか?

 

「マタイ伝」を重んじた景教

通説では、キリスト教は、1549年に来日したスペインのカトリック宣教師フランシスコ・ザビエルによってはじめて日本に伝えられた、ということになっている。

しかし、これに対してはかねて異論も出されている。なぜなら、隣国の中国には、遅くとも7世紀までにはキリスト教が伝道されていたことが明らかだからだ。

唐の時代の635年、西方のシリアから、アラボン(阿羅本)を団長する景教の宣教師団が都・長安にやってきた。景教とは、初期キリスト教の一派、ネストリウス派の中国での呼称である。宣教師団は皇帝に厚遇されて中国での布教が公認され、長安には景教寺院として「大秦寺」が建てられた。以後、およそ9世紀まで景教は中国で流行し、多くの教典が中国語に訳出され(その中には聖書の一部も含まれる)、各地に景教寺が建てられた。

高野山にある「大秦景教流行中国碑」のレプリカ。
高野山にある「大秦景教流行中国碑」のレプリカ。

そんな中国での景教の隆盛を記録したものとして有名な「大秦景教流行中国碑」は、781年に大秦寺の境内に建立されたものだ。

また、もうひとつ興味深い事実を挙げておこう。

景教の宣教師団長アラボンは『一神論』と題される教典を中国語で編んだが、この中に含まれる「世尊布施論」は、「マタイ伝」の内容と重なるところが多く、有名な「山上の垂訓」が漢訳されている(ここでの「世尊」とは、釈迦ではなくイエス・キリストをさしている)。つまり、景教は、聖書のなかでもとくに「マタイ伝」を重視していたらしいのである。

 

親鸞は聖書を読んでいた!?

中国から日本へは、弥生時代からたえず人やモノが伝来していた。そして唐の時代には、有名な遣唐使が日本から派遣され、彼らを介して中国の文物・文化が日本へつぎからつぎへと流入していった。

そんな歴史を考慮すれば、中国で大流行していた景教の信仰や教典が、9世紀までに日本にもたらされていた可能性は、十分に考えられることになろう。いや、もたらされなかったと考えることのほうが、むしろ難しい。『続日本紀』には、天平8年(736)に帰国した遣唐使とともに李密翳なるペルシア人が中国から来日したと記されているが、このペルシア人は景教徒だったのではないか、という説もある。

明治36年に出版された「マタイ伝」日本語訳、新約聖書馬太伝(国立国会図書館蔵)。
明治36年に出版された「マタイ伝」日本語訳、新約聖書馬太伝(国立国会図書館蔵)。

このようなことを状況証拠とすれば、鎌倉時代の親鸞が、景教の教典を介して一神教であるキリスト教の教義に触れ、新約聖書の「マタイ伝」の内容にも通じていた可能性は、十分にある。そうなると、親鸞がキリスト教に影響を受けて、「南無阿弥陀仏」という一神教的な仏教教理を育み、浄土真宗の開宗に至ったとも考えられることになろう。

ちなみに、「大秦景教流行中国碑」には、景教のことを「真宗」と呼ぶ箇所もある。真宗と浄土真宗――これははたして偶然の一致なのだろうか。

 

「鍵役」と「天国の鍵」の符合

さらに指摘したいのは、「鍵」だ。

浄土真宗系のある寺には、トップを補佐する役職として「鍵役」というのがある。これは、親鸞の肖像を安置する厨子の鍵を管理することからつけられた名称だが、名家の人物が代々就任する伝統になっている、重職だ。

一方、キリスト教で「鍵」といえば、まず想起されるのは、「天国の鍵」だろう。聖書によれば、イエスは使徒ペトロに対して、「私はこの岩(ペトロ)の上に私の教会を建てる。私はあなたに天の国の鍵を授ける」と告げ、ペトロにキリスト教の伝道を託したことになっている。そのため、鍵はペトロのアトリビュートになっている。いうまでもないが、歴代のローマ法王とは、ペトロの後継者ということになっている。

そして注目すべきことに、「私はあなたに天の国の鍵を授ける」というイエスの言葉が記されているのは、新約聖書の「マタイ伝」なのである。

こうした「天国の鍵」と某寺の「鍵役」とを考えあわせてみると、こんな推測が成り立つ。

「鍵役」とはイエスの使徒ペトロを意識したものであり、その鍵が開ける厨子に納められた親鸞の御真影には、イエスの姿が重ね合わされているのではないか――。

それとも、その鍵は、「最高の宝物」が納められている秘所の扉を開けてくれるのだろうか。――いや、「極楽浄土」への門を開いてくれるものなのか。

浄土真宗とキリスト教の深層は、深い謎と闇をたたえた地下水脈によってつながっている。

「ムー」2017年6月号では、浄土真宗のある寺に伝わる漢文の聖書についても踏み込み、詳細にレポートする。

イエス・キリストから「天国の鍵」を授けられる使徒ペトロ(右下)。ペルジーノ画『ペトロへの鍵の授与』(部分)より(15世紀/システィナ礼拝堂蔵)。
イエス・キリストから「天国の鍵」を授けられる使徒ペトロ(右下)。ペルジーノ画『ペトロへの鍵の授与』(部分)より(15世紀/システィナ礼拝堂蔵)。

 

(「ムー」2017年6月号より抜粋)

文=古銀剛

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