織田信長の祖先は古代イスラエル人だった!

文=久保有政

忌部氏神官の子孫・信長

織田信長(1534~1582年)は、戦国時代の三英傑に数えあげられる豪傑である。

じつは信長の先祖は、福井県の「劔(つるぎ)神社」の神官であった(『劔神社沿革史』)。織田家の家紋「織田木瓜紋」(五つ木瓜紋)は、劔神社の神紋と同じである。劔神社は約1800年の歴史を持つ古社で、福井県「織田盆地」、福井県越前町「織田」の地にある。

織田木瓜紋。
織田木瓜紋。

信長の先祖は劒神社で神官をつとめていたが、その神官とは「忌部氏」であった。町内には今も忌部姓や伊部(いべ/いんべ)姓が多く見られる。忌部氏は、古代日本に渡来したもっとも古い神道系氏族のひとつだ。

信長の先祖=忌部氏は、神社で神事を行っていただけでなく、麻栽培・加工・農業・鉄・刀鍛冶・織物・養蚕・製紙、その他にもすぐれたスーパークリエイター集団であった。

15世紀、劒神社の神官の子に忌部常昌という人物がいた。才能豊かな人で、やがて家臣として取り立てられ、尾張の国(今の名古屋あたり)に派遣された。以後彼は、故郷の地名をとり、「織田」と名乗るようになった。

これが織田家の始まりである。

織田家は尾張で勢力を伸ばし、守護代(代官の一種)をつとめるまでになった。信長の時代には尾張一円を掌握し、日本全国に雄飛する。信長は、先祖の故郷の劔神社を忘れず、氏神として尊崇し、武運を祈るとともに多くの神領を寄進。社殿を建立するなどしている。

このように信長は、忌部氏神官の子孫だ。では、忌部氏とはどのような一族なのか。じつは、これから見ていくように、古代日本に渡来した古代イスラエル人の一支族なのである。

 

古代イスラエル人の子孫・信長

 

信長はある時期以降、平氏を名乗ったことがある。その裏には、源氏系の足利氏に代わって天下を取ることを、内外に宣言する意味が込められていたのではないかといわれている。

それ以前の織田家は、藤原の姓も名乗っていた。平氏なのか、藤原氏なのか、忌部氏なのか、混乱してしまうところだが、最近の研究では忌部氏だったということでほぼ落ち着いている。

というのは最近、福井県越前町織田で、織田信長の十数代前の先祖「親真」(平清盛のひ孫とされてきた)の墓の一部が発見された。その調査から、信長=平氏説に反する事実が明らかになったのである。

越前町教育委員会は、「織田信長は平氏ではなく、忌部氏だった」と発表している。ならば、信長の先祖・忌部氏とはどんな人々だったのだろうか。

忌部氏は古代から、中臣氏や物部氏らとともに、大和王権における神道をつかさどった中心的氏族のひとつであった。彼らは神道祭祀をするとともに、天皇家のために神道祭具や麻の衣をつくってきた。

中臣氏が「政(政治)」を、物部氏が「軍」を担当したのに対し、忌部氏は「祭」を担当していた。古代イスラエルでいえば、レビ族(祭司族)のような役割を担っていたのである。

忌部氏の信仰は、磐境神明神社(徳島県美馬市)にも見ることができる。これは丘の上に自然石を積みあげた古代の礼拝所で、忌部氏がつくった。古代イスラエル人の「高きところ」と呼ばれる礼拝所に、とてもよく似ている。

磐境神明神社を調査した元駐日イスラエル大使・エリ・コーヘン氏(大祭司アロンの直系子孫)は、「このように自然石を積みあげてつくった礼拝所は、古代イスラエルと同じだ」と語っているほどだ。

磐境神明神社は――本宮である白人神社とともに――忌部氏の75人の宮人によって守られてきた。一方、紀元前から古代イスラエル人が住み着いていたことで有名な中国・開封のシナゴーグ(ユダヤ教会堂)も、75人の宮人によって守られてきた。

75は、「サマリア五書」(北王国イスラエルの10支族が使っていたモーセ五書)において、イスラエル民族の父祖ヤコブが家族とともにエジプトに移住したときの人数として記されている聖なる数字だ。

逆に、中国人が75という数字を重んじたという記録はない。つまり、「イスラエルの失われた10支族」のみが重視してきた数字なのである。

しかも、イサク奉献神事といわれる「ミサクチ祭」(御頭祭)で知られる日本の諏訪大社(長野県)でも、75頭の鹿が奉納されたり、年間75の神事が行われたりと、75を重んじている。

磐境神明神社の本宮である白人神社には、75頭の狛犬像があるし、忌部氏が開拓した徳島県内には、神前に75膳の食物を供える神社が5つある。

この一致は決して偶然ではないだろう。

忌部氏の白人神社は、古くは広大な敷地を有していた。そこを守る忌部氏の75人の宮人は、約2000年前から存在していたともいわれている(現在は転出などで50人くらいに減ってしまっている)。彼らは遷宮、お弓、神輿渡御の行事を行い、決して他家をいれなかった。

宮人らは、神社では灯火を絶やしてはならないと、いい伝えてきた。これは古代イスラエルの幕屋での風習と同じである。神輿を担げるのも宮人だけである。古代イスラエルでも、契約の箱という神輿を担げるのは、レビ族という祭司族だけだった。

また、忌部氏の磐境神明神社は、剣山の麓にある。そこでは毎年7月17日に、神輿(古代イスラエルの契約の箱によく似ている)を山頂に担ぎあげる祭りが行われている。

7月17日は、ノアの箱舟がアララテ山に漂着した日だ。

箱舟も契約の箱(神輿)も、英語でいうとアーク(聖櫃)である。つまりこれも、古代イスラエル人としての記憶から来た祭りなのである。

このように、古代イスラエルと日本の共通点を踏まえて考えると、「織田信長・忌部氏・古代ユダヤ人」「武士道・神道祭祀・イスラエルの秘儀」の密接な関係が見えてくるのだ。

201708tok

 

(ムー2017年8月号特別企画「織田信長と忌部氏と古代ユダヤ人」序章より抜粋)

文=久保有政

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