高天原は飛騨だった! 消された飛騨王朝と位山ピラミッド文明

文=古銀 剛

飛騨の乗鞍岳は愛宝山だった!

北アルプスの南端に位置する乗鞍岳(のりくらだけ)は、飛騨(ひだ)地方のシンボルともいえる標高3026メートルの名峰だ。現在ではスカイラインが通じているので、夏季の好天時であれば気軽に近くまで訪れることができるが、古来神の住む山として神聖視され、飛騨の人々は、雪をいただいた優雅なこの山を朝な夕なに仰ぎ見ながら暮らしてきた。

この山は、奇瑞(きずい)を示す神秘的な霊山として、古代の平安京の人々のあいだにも知れわたっていたらしい。平安朝の正史『三代実録』をみると、873年の出来事として「飛騨の愛宝(あわ)山に紫雲が3度見えた」と書かれているが、ここに見える「愛宝山」とは乗鞍岳の古名と考えられているからだ。

山頂付近は広い湿原になっていて、春遅くまで雪が残り、沼や池が点在し、神秘的な風景が広がっている。

そんな池のひとつに、「大丹生ヶ池(おおにゅうがいけ)」がある。

冬期は雪の下に埋もれて姿を消してしまうが、春から秋にかけては雪解けの清水をたたえ、草原の緑と岩峰の雄姿とも交響して、神仙郷さながらの景観を現出する。

このささやかな池から流れ出る水は険しい谷を伝うとやがて川(小八賀川(こはちががわ)・丹生川)となり、やがて飛騨のもうひとつの霊山・位山(くらいやま)を水源とする宮川とあわさり、さらに北流すると神通川となって最後は日本海に注ぎ込まれる。

大丹生ヶ池はたんに「丹生池(にゅうのいけ)」とも呼ばれるが、江戸時代まではここでしばしば雨乞いが行われたといい、山麓の村里で旱魃(かんばつ)が続くと、村人たちは半日かけて山道を登り、池のほとりで祈雨の儀式を行ったという。

乗鞍岳の山頂付近にある丹生池。(写真=福来出版)。
乗鞍岳の山頂付近にある丹生池。(写真=福来出版)。

 

超古代王朝を伝える〈飛騨の口碑〉

ところが、である。

乗鞍岳の麓に住まう、とある旧家に伝わった秘伝承――俗に〈飛騨の口碑(こうひ)〉と呼ばれる――によれば、そこで行われていたのは、決して「雨乞い」などではなかったという。

その伝承は、こう語る。

「丹生池では、遠い昔、飛騨の人々が〈日抱(ひだ)きの御魂鎮(みたましず)め〉を行っていた。飛騨という地名の語源は、この〈日抱き〉である!」

〈日抱きの御魂鎮め〉とはいったい何か。それは、池を人々が囲み、先祖と大自然に感謝しながら池の水面に浮かぶ太陽や月の光を凝視し、心を鎮めるというものだったという。太陽信仰をまじえた古神道的な素朴な行法といえるかもしれない。

さらに〈飛騨の口碑〉によれば、太古、飛騨の地は気候が温暖で、丹生池の周辺には、神々にも比定される、日本人のルーツとなる人々が暮らしていたのだという。そればかりか、丹生池は日本列島で「生命」そのものがはじめて湧き出た地であり、乗鞍岳は列島で最初にできた陸地なのだという。

つまり、乗鞍岳の丹生池は、日本人の源泉であり、「飛騨こそが高天原(たかまのはら)だった!」というわけである。

飛騨のもうひとつの霊山、位山。飛騨超古代王朝の一大聖地だったという。
飛騨のもうひとつの霊山、位山。飛騨超古代王朝の一大聖地だったという。

〈飛騨の口碑〉にはまだ続きがある。気候が寒冷化すると、乗鞍岳の麓に住んでいた原日本人は山を下り、宮村(現・高山市一之宮町付近)に拠点を移して飛騨超古代王朝の都とし、近くにそびえる位山を祭祀場とし、またそこには天照大神が葬られたという。

こう書けば、多くの読者は「そんなバカな」と思うことだろう。

ところが、位山をはじめとする飛騨の各地には、飛騨高天原説を傍証するような遺跡が点在し、飛騨超古代王朝にまつわる伝承が残されているのだ。

さらにいえば、飛騨王朝の痕跡は、なんと天皇家の最重要儀式にも残されていたのだ。

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(「ムー」2017年10月号総力特集「消された飛騨王朝と位山ピラミッド文明の謎」より)

文=古銀 剛

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