家にやってくる妖怪ミカリバアサン/黒史郎の妖怪補遺々々

文・絵=黒史郎

妖怪補遺々々(ようかいほいほい)

ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」(隔週水曜日更新)! 連載第17回は、一つ目小僧と性質のかぶる謎のおばあさんについて、横浜市と川崎市の民族誌から補遺々々しました。

 

謎のおばあさん

〽ミカリ婆さん団子が好きよ

夕べ七つ食べて今朝また三つ

(神奈川県川崎市中原区中丸子に伝わる歌)

 

第5回の『妖怪補遺々々』では、旧暦2月8日と12月8日の「事八日(ことようか)」にやってくる「一つ目小僧」をテーマに書きました。そこで、「一つ目小僧」と同じ日にやってくるといわれる婆さんについて少しだけ触れたのですが、今回はそのお婆さんがテーマです。

この婆さんは「ミカリバアサン」「ミカワリバアサン」「ミケイバアサン」などと呼ばれる妖怪で、地域によって伝承の違いはありますが、性質は「一つ目小僧」とかぶっています。

8日にくる「一つ目小僧」は、家々を回って下駄に判子を押し、家人の名を帳簿に付けて災いをもたらす厄病神的な存在です。自分よりも目が多いものを恐れるので、人々は目籠(竹で編んだ籠)を軒に掛けておき、この小僧が家に近寄らないようにしたといいます。

今回のテーマである婆さんもひとつ目であるともいわれており、目籠を軒に掛けておくと恐れて家に入ってきません。この他にも行動や弱点など、かなり「一つ目小僧」とかぶっているのですが、小僧ほど知名度はありません――というわけで、彼女のことをもっと知るため、横浜市と川崎市の民俗誌から「八日に来る婆さん」の伝承を捜してみました。

今回は川崎編です。

 

おっかないおばあさん

神奈川県川崎市では、12月8日と2月8日を「八日僧(ようかぞう)」ともいいます。「八日僧」とは、その日に災いを与える「一つ目小僧」のことです。

麻生区上黒川では、この「八日僧」の日に「一つ目小僧」か「ミカリ婆さん」が来るといわれています。そのため、目の多い目笊(メザル)を竹の棒の先にさして軒に立て、夜は囲炉裏でグミの木を燃したといいます。「ミカリ婆さん」はグミの木の臭いを嫌うので家の中に入ってこないのだそうです。

下黒川では、「八日僧」の晩は履物を外へ置いてはいけないといわれています。

「帳付け婆さん」という妖怪が回ってきて履物に印を押し、帳面にその履物の持ち主の名前を付けるからです。帳面に名前を付けられた人は必ず疫病にかかってしまうといわれていますが、ちゃんと助かる方法も伝わっています。

この帳面はサイノ神(悪いものの侵入を防ぐ神)に預けられるので、1月14日にサイノ神の小屋を焼き払えば疫病を防ぐことができるといわれてます。神様の居場所を焼くなんて、なかなか過激な厄払いです。

一方、婆さんは判子を押したり帳面に記載したりとずいぶんとやることは事務的ですが、妖怪らしい「おっかないこと」もちゃんとやります。

多摩区菅仙谷では、子供がいうことを聞かないと「メカリ婆さんが来て、目を取り換えていくぞ」と脅したそうです。

目を奪われるならまだわかりますが、取り換えるとはどういうことなのでしょうか。婆さんの目と交換なのか、まったく違うものと目を取り換えられるのか……当時の子供たちは、どのようなおぞましい想像をしたのでしょう。

また、同区柿生ではひとつ目の「メカリバアサン」が障子の穴から覗きこみ、子供をさらいに来るといわれていました。さぞかし、障子に穴をあけるイタズラも減ったことでしょう。

このように、疫病を持ち込む、目を取る、子供をさらうなど恐ろしい性質ばかりを備えた婆さんですが、実は意外な性格も語られているのです。

 

本当は真面目で優しい

冒頭で「ミカリ婆さん」の歌をご紹介しましたが、歌詞にもありますように、この婆さんの来る日にはどの地区でも「ツジョ団子(ツジョー団子・土穂団子)」というものを供えていました。これは屑米や脱穀のときにこぼれ落ちた籾(もみ)で作った団子です。

これを食べてもらってお帰り頂こうという厄払いのための供え物でもあるのですが、この団子を供える意味は他にもあるのです。

「ミカリ婆さん」は厄を運ぶ嫌な存在ですが、節約上手の成功者という顔ももっています。贅沢をせずにツジョ団子を食べ、つましい暮らしをしていたため、立身出世して大金持ちになったといわれているのです。

彼女のこの「物を大切にする」という気持ちにあやかり、中原区中丸子ではツジョ団子を竹の串や柳の枝に3個ずつさし、大神宮様、恵比須様、大黒様、仏壇などに供えた後、これを味噌汁に入れたり、醤油や砂糖をつけて焼いたりして美味しく食べたそうです。無駄をなくそうという庶民の知恵なのでしょう。

また、この団子を供えるのは火難を逃れるためでもあったようです。

多摩区生田五反田では10月の三隣亡の日に団子を供えますが、これは「ミカワリバアサン」が子供たちの子守をしていたとき、火に当たっている子供たちが火傷をしないようにと荒神様に団子を供えたのが始まりだといわれています。

同区東長沢では「ミカリ婆さんのお祭り」といって、12月末にツジョ団子を味噌で煮て豆ガラにさし、家の周りの3か所に供えたそうです。屋内ではなく家の外に供えたのは、「ミカリ婆さん」の身にこんな不幸なことがあったからだといわれています。

あるとき、自分の子供がいなくなってしまい、「ミカリ婆さん」は松明を持って家の周りを捜しました。そのときに松明の火が家に引火してしまい火事になってしまったのです。

うっかり火事を起こした婆さんが火難除けの神様のような存在になるなんて、本人も不本意なことでしょう。

このようにいくつもの恐ろしい性質ももちながら、倹約家で子供想いという意外にも人間臭い面ももち合わせる「ミカリ婆さん」は、もっと人々に親しまれて多くの地域で語られてもよいのですが、資料によると多摩川を越して北へ行くときに川で死んでしまったので、川向うにはこの婆さんの伝承はないのだといわれています。なんとも寂しい話です。

※名称の「婆さん」「バアサン」の表記違いは参照した資料に基づいたものです。

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文・絵=黒史郎

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