大阪で悪魔召喚の儀式! 「銀孔雀」で人外のモノと交信

文=高橋御山人

現代日本でバフォメット召喚

異端審問にかけられたテンプル騎士団が崇拝した、山羊の頭を持ったいかにも悪魔然とした姿である、黒ミサを司る、サタニズム……。

バフォメットといえば、こういったイメージが浮かぶ。

2017年11月25日、筆者の知人が営むとある店で、そのバフォメットの召喚儀式が行われた。

筆者は、日本の神話伝説や神道が専門で、西洋魔術にはあまり詳しくはないのだが、一神教世界に残る多神教の残り香に魅かれ、ヨーロッパにも何度か足を運んだことがある。

バフォメットの召喚儀式も、マクロに見れば、その系譜にあたるものだろう。西洋の地下水脈を流れて来た儀式とは、いかなるものか。自らも多神教の儀式を行う者として、大いなる関心があり、今回の儀式に参加した。

儀式が行われたのは、「大阪の原宿」ともいわれる、若者文化の発信地・アメリカ村の「呪術と魔法の銀孔雀」。

魔女・谷崎榴美(るみ)氏とB・カシワギ氏が営む店である。

今回の儀式の司祭は、現代魔術研究家のバンギ・アブドゥル氏。

賑やかな外の光も音もいっさい届かない、閉ざされたこの店に、日没後、参加者達が集まった。

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儀式に用いる祭具の数々。

銀孔雀に入ると、参加者が取り囲むテーブルの中央に、剣、カウベル、ワインなど、儀式で使うさまざまな祭具が並んでいた。

八方向に突き出た銀の円盤は、シジル・オブ・ケイオスとか、ケイオスフィアとか呼ばれるものだろう。1970年代のイギリスで生まれた現代魔術の一潮流、ケイオスマジックで重視されるシンボルだ。今回の儀式は、ケイオスマジックの流れを汲むもののようである。

やがて、司祭が現われ、いくつかの注意があった。この儀式が遊びや娯楽ではないことを認識させられる。参加者達に、緊張した空気が走った。

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ケイオスフィアが描かれた司祭の衣装。革ジャン=獣の衣である。

 

ケイオスマジックの召喚儀式

そして、照明が落とされ、暗闇の中、蝋燭の明りのみで儀式が始まった。

まず初めに、バニシングという、清めの儀式が行われる。司祭が、部屋の四隅に行き、剣で空を突く。

神道では、儀式の初めに「修祓(しゅばつ)」があり、大麻(おおぬさ)で神饌(神に捧げる飲食物)や玉串、参列者を祓う。また、地鎮祭や竣工式でも、土地や建物の四方を祓う。儀式の初めに清めを行ったり、四方を祓ったりする事は、洋の東西や時代の今昔を問わない。

次に行われるのは、インヴォケーション・ケイオス、混沌の召喚。司祭が呪文を唱える。16世紀イギリスの大魔術師、ジョン・ディーが、天使との会話に用いたとされる、エノク語の呪文だ。

神道においても、祝詞は神に語りかけるものであり、唱える言葉は非常に古い特殊な日本語である。超常のモノとの交信には、特別な言語を用いるのも、汎人類的な事象だ。

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蝋燭の明りの下で、儀式が進み、司祭はトランス状態となった。

カウベルを鳴らしながら、司祭が繰り返し呪文を唱え、次第にトランス状態になって行く。木魚や太鼓、鈴などともに、経文を唱えるかのようだ。

日本の神楽においても、かつては託宣があるものであった。また、任意ではあったが、筆者もハンドサインを作り、「イオ・バフォメット」と繰り返し唱えた。そうすることで、自分自身も、儀式空間へ溶けて行く。

 

バフォメットとの交信

インヴォケーション・バフォメット。

ついにバフォメットが召喚された。司祭の肉体を借りたバフォメットの出現は、静かなものであり、出現後も、実に紳士的な雰囲気であった。

バフォメットは英語で話したり、日本語で話したりする。あるいは、長く沈黙している時もあった。

ただ、圧倒的な存在感の前に、参列者はだれも口を開くこともなく、筆者もまた、ただただ沈黙するのみであった。

 

「ジス イズ マイ ウィル」

 

やがて、バフォメットがそうつぶやく。

そこで希望者は、バフォメットの正面に座り、シジルと呼ばれる願い事を描いた紙を、バフォメットに渡す。

わざわざ「描いた」と書いたのにはわけがあって、ここには文字を用いずに「描く」必要があるからである。

シジルを受け取ったバフォメットは、シジルをあれこれを眺めて、希望者に返す。これを希望者が順番に行う。

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この紙の裏にシジルを描く。

筆者も行ったが、バフォメットを前にし、コミュニケーションを取るのは、何とも言えない緊張感がある。

それは人気のない橋の上で、欄干に止まる大きな漆黒のカラスと目が合ってしまい、見つめられたときのような、異様なものだ。

言語が通じるような、通じないような、どこまで自分と「同じモノ」なのか、得体が知れない、といった感覚だ。他の希望者も多かれ少なかれ、同じ思いだったに違いない。だから、参列者のだれも、言葉を発することがないのだ。

ジョン・ディーが、なぜ天使とのコミュニケーションにエノク語を用いたのか、わかるような気がする。

目の前のバフォメットも、英語や日本語を話すが、その意味するところが、われわれと同じかどうかもわからない。

それこそ、カラスは九官鳥のように、人語をリアルに話すこともあるが、はたしてわれわれと同じ意図で語っているのかは、定かではない。

 

宗教儀礼=超常のモノと交信

そして、突然に儀式が終わる!

司祭、参列者ともども、大笑いをする。筆者も目一杯声を上げて笑った。

面白くて笑う笑いではない。笑うがために笑う。日本の神事や郷土芸能の中にも、不条理に笑うものがある。これも、人の理では推し量れない、人智を超えた者とのコミュニケーションに伴うものなのだろう。

 

バフォメット召喚儀式、それは、紛れもない宗教儀礼であり、数多くの神事を目にし、自ら行ったことのある筆者には、懐かしささえ感じるところもあった。

しかし一方で、超常のモノと交信するという、神事、宗教儀礼の、本来的な核心を、改めて思い起こさせ、問いかけて来るものでもあった。

神であれ、魔であれ、それは「人外のモノ」なのだ。人間と同じ考えかどうか、意志の疎通は可能なのかどうか、ブラックボックスなのである。そういうモノと交わるのが宗教儀礼の本来の姿だと思うと、手に汗を握る。すべからく宗教儀礼とは、本来は心すべきものなのである。

文=高橋御山人

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