山の怪異二百人VS化け猫/黒史郎の妖怪補遺々々

文・絵=黒史郎

妖怪補遺々々(ようかいほいほい)

ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」(隔週水曜日更新)! 連載第26回は、山で起こる怪異譚を補遺々々しました。

 

山で起こる不思議なこと

その昔、山は海とともに、もっとも人の世に近い異界と考えられていました。異界とは、人の世とは異なる領域のこと。不思議なことが起きて当然の場所と考えられていたのです。

「この日は山仕事をしてはいけない」「あの動物を狩ってはいけない」「その言葉を使ってはならない」など、山には山の掟がありました。この掟を守らずに禁をおかす者たちは、相応の報いを受けたといいます。

山で起こる不思議なことは、山の神、天狗、化け物、狐狸やその他の鳥獣たち、草木や石ころ、そういった山に住むものたちのなせる業とされてきました。そういうことにしなければ説明のつかないことが、山ではたくさん起こったということでしょう。

 

今回は昭和34年に光和堂から刊行された『魔岳秘帖 谷川岳全遭難の記録』から、山の怪異をご紹介いたします。この本は朝日新聞の記者であった岸虎尾氏が、昭和12年から20余年のあいだに谷川岳(群馬県と新潟の県境にある連峰)で起きた遭難記録をまとめた壮絶な内容の1冊です。本書の大半は山を舞台に綴られた生と死の生々しい記録ですが、その中の「天幕夜話」と題した章には、谷川岳に伝わる化け猫の伝説や目撃談が紹介されています。

 

三国峠の子抱かせ

三国峠(みくにとうげ・群馬県と新潟県の境、上越国境)のすぐ下に「くぐつ橋」という橋があります。その橋には、化け猫が現れるといわれていました。

これは、ある年の10月23日のことです。越後の商人が深夜の峠道をひとりで歩いておりますと、くぐつ橋にさしかかろうという先で人の影があることに気づきました。よく見るとそれは髪を振り乱した女性で、幼い子を抱いています。こんな時刻にこんな場所で、泣く子をあやしているというのも奇妙なことですが、女性の見た目も異様でした。頬がこけ、青白い顔をしており、目が異様に光っています。その姿を見た商人は腰が引けましたが、渡らねばならぬ道なので度胸を決め、歩みを止めずに進みました。するとこの女性、商人が右端に寄れば右端へ、左端に寄れば左端によって立ちふさがり、無視をさせないだけでなく、商人に向けてわが子を突きだし、「お父さんに抱かれ」というのです。

しかし子供は「腰の刀が怖い」といって拒むので、女性はこういいました。

「あの腰のものにはツバ先三寸のところに刃こぼれがある。そこから抱かれ」

そんな恐ろしいやり取りを見ていた商人は、震えながら二十三夜様を念じていました。すると空に月が出てきて、光であたりを照らします。女は「くやしい」とひとこと吐き捨てると、谷へと飛び込んで姿を消してしまったといいます。

 

猫ユウの黒猫

猫ユウと呼ばれる岩穴がありました。10人ほどが寝泊まりできる広さがあり、そばには清水も湧いているので炊事や洗濯にも便利なことから、よく狩人が中で野営をしていました。

ある晩、ひとりの狩人が猫ユウの中で、枯れ木を燃して暖をとりながら、まどろんでいました。どのくらい経ってか、なんだかゾクゾクと肌寒さを感じるようになり、どうにも眠れなくなって目を覚ましてしまいます。するとどうしたことか、岩穴の中は真っ暗。寒いはずです、火が消えていたのです。

なにやら視線を感じて目を向けますと、燃えさしのそばに1匹の黒い猫がちょこんと座って、こちらを光る眼でジッと見ています。山中に猫がいるのは妙だ、そう感じた狩人は「あっちへいけ」と追い払うと、すぐに火をつけなおしました。

だんだん温かくなり、横になってウトウトしていますと、ゾクリ、寒さで目が覚めます。見るとまた火は消えていて、先ほどの黒猫が座っている。そんなことを3度、4度と繰り返し、これはおかしいと怪しんだ狩人は、寝たふりをして様子をうかがっていました。

すると黒猫は、そばにある清水に入って身体を濡らすと、火の近くにきてブルブルッと身を震わせます。飛沫で火を消そうとしているのです。

「ははーん、暗くなったところでオレを食い殺そうとしているのだな」

そう察した狩人はこっそり銃を構えて、猫が水から上がってきたところをズドンと撃ち殺してしまいました。暗くて気づきませんでしたが、黒猫は人ほどの大きさがある、お化け猫でした。

このことを村に帰って話すと、「万才さんを食い殺した山猫に違いない」と村人たちはいいました。猫ユウの付近には人を食う山猫が棲んでいたようなのです。狩人の判断は間違っていなかったのです。

それから数年が経ち、狩人が岩魚を釣りに猫ユウへ久しぶりに行きますと、例の猫の骨はまだそのまま残っていました。

「ふん、俺を食おうとするからだ」と足蹴にすると、「痛っ!」

履いていた草鞋を貫いて、猫の骨が足に刺さってしまいました。それからだんだんと足が痛みだし、全身が痺れ、熱も出てきます。片足を引きずりながら村へ帰った狩人はそれから高熱に苦しみながら、「猫の祟りだ、猫ユウに行ってはだめだ」と、うわ言をいいつづけ、3日目の夜に猫のような叫び声をあげて死んでしまいました。

 

村人たちは、狩人を死に追いやった猫は「婆に化けて孫を食い殺し、宝川の奥へ隠れた猫かもしれない」と恐れ、宝川へ行ったら『ねこ』と『万才』という言葉を口にしてはいけないと語り継ぎました。これは、明治のころの話だといいます。

 

200人VS大猫

清水峠の開通工事のときに起きた出来事です。峠の西に「七つ小屋」と呼ばれる場所があります。過去に7つの小屋があった場所なのでしょうか。この七つ小屋とヨモギ峠の中間に「猫平」という斜面があり、そこには工事の作業員の人たちが寝泊まりする建物がありました。建物といっても、半分に割った丸太を組んで作った掘っ立て小屋で、作りがあまり丈夫ではありません。時おり、なにかが囲いを破って小屋に入り込んでしまい、食べ残しのカモシカ汁や飯などが食われるということがありました。作業員の泊る小屋は、そこひとつではありません。始めは、他の小屋の者の仕業だろうと話していましたが、そんなことが何度かあったある日、ひとりの作業員が血だらけで小屋の裏手に倒れているのが発見されました。

見つかったときはもう虫の息で、だれにやられたんだとみんなが聞くと、「でっかい黒猫だ」とだけ答え、死んでしまいました。首がめちゃくちゃに噛み潰されていました。

 

事件は他の小屋でも起きていました。ゼンマイ採りにいった者がなにかに襲われ、瀕死で逃げ帰ってきたのです。これでは仕事にも支障が出ます。問題の黒猫とやらを、みんなで退治することになりました。

夜を待ち、カモシカの肉を焼くと匂いのたっぷり絡まった煙を扇ぎたて、小屋の北側の入口を開けたままにしておきました。待ち構えているのは、槍やドスを持った200人余りの作業員です。

それから20分ほど経って、人が這っているくらいの大きさのものが小屋に飛び込んできたので、ソレッと戸を閉めると松明に火をつけて小屋を囲み、防具代わりにモッコ(畚・縄で編んだ石などを運ぶ道具)をかぶって中へ突入しました。黒猫は目をらんらんと光らせて飛びかかってきましたが、1時間ほどかけて隅に追い詰め、モッコをかぶせて槍や日本刀で突き殺しました。

黒猫の頭は亡くなった作業員の墓前に供えられ、肉は作業員たちで分けあって食べましたが、おいしかったといいます。当時、小屋で飯炊きをしていた方から、著者の岸氏が直接聞いた話だといいます。

bakeneko

文・絵=黒史郎

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