首が無くてもなんでもできる〝首なしの怪〟 〜やっぱり怖い生首 其の三〜/黒史郎の妖怪補遺々々

文・絵=黒史郎

妖怪補遺々々(ようかいほいほい)

ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」(隔週水曜日更新)! 連載第31回は、生首シリーズの最後を飾る〝首なしの怪〟を補遺々々します。

 

首が留守のときはなにをしてる?

前回、前々回と2回連続で生首の怪をご紹介してきました。今回も首のお話ですが、首から上ではなく、首から下の部分にスポットを当てたいと思います。

元気よく生首が人を怖がらせている一方、首が載っていた身体のほうは、なにをしているのでしょうか。見えず、聞えず、喋れず、なにもできずに棒のように突っ立って、ただ首が帰ってくるのを待っているのでしょうか。

首が外出中に身体を隠されたという可哀想な妖怪談がありますが、そんなに無力な「首なし」ばかりではありません。首が無くたって、私たちの悪事や不作法をしっかり見ています。説教だってします。首以上に元気に走りまわりますし、首にちなんだ罰まで与えてきます。

土佐の伝説に見られる首なし妖怪話をご紹介いたします。

 

首なしに叱られる

高知県土佐郡に伝わるお話しです。

ある雨の日のことでした。徳島から来たお遍路さんが、一宮村重倉(現在の高知市)の若一王子宮で雨宿りをしました。

夜になってお遍路さんは「おや」と気づきます。神前に光るものがあるのです。

なんだろうと取りだしてみますと、なんと神鏡です。

「これは金儲けになるぞ」

こともあろうに、お遍路さんは悪心を抱き、この神鏡を懐に入れてしまったのです。

 

ふと夜更けに目が覚めたお遍路さん、なにやら近くに気配を感じます。

枕元を見ますと、そこには首のない人が、首のない馬に乗って立っていました。

「おまえに一夜の宿を許したのは、旅の苦労を思ってのことだ。なのに、その恩義も忘れて盗みを働くとは……神鏡をもとのところに返さねば、今すぐにおまえの首を取るぞ!」

激しく叱られて震えあがったお遍路さんは、慌てて神鏡を元の場所に返すと、その場で気絶してしまいました。

翌朝、倒れているところを村人に発見され、医者に診てもらって意識を回復したお遍路さんは、昨夜のことを語ると同時に死んでしまったそうです。

それ以来、若一王子宮に入る者はおろか、近くの樹木に触れる者もいなかったそうです。

これは同市久礼野の話ともいわれています。

 

ヤギョウの夜は見るな

藩政時代のお話です。

正月の前夜、高知の城下では「夜行(やぎょう)」というものが現れました。それは「首のない馬に人が乗っている」とか「首のない人が馬に乗っている」といわれる怖いもので、これが通るのを決して見てはならず、外にも出てはいけないといわれていました。

ところが、この「夜行」の存在に疑問をもつ者がいました。とても頑固で度胸のある男勝りな女性で、彼女はこう考えました。

「その夜行とかいうもの、見てはならないというが、だれも見ていないのに首がない云々と噂になるのも妙な話だ。一度、この目で見てやろうじゃないか」

 

正月の前夜、彼女は子供を寝かしつけると、じっと「夜行」が通るのを家の中で待っていました。夜も更けて、あたりが静かになりますと、遠くから馬の走る音が近づいてきます。

そっと障子を開けて外を見ますと、なんと、首のない人が馬に乗って通っていきました。

驚いて呆然としていますと、また馬の足音が近づいてきます。今度は首のない馬に乗った人がやってきます。さっきとは違い、人にはちゃんと首があります。

それからも「首のない人が乗る、首のある馬」「首のある人が乗る、首のない馬」が交互にやってきて通ります。

しばらくそれが続くと、なんと今度は、「首のある人が乗った、首のある馬」が通りました。つまり、ただの「馬に乗った人」が通ったのです。

一連の光景はなんだったのかと不思議に思いながら自分の部屋に戻りますと、なにがあったのか、わが子の首がなくなっていたのです。

 

同県吾川郡池川町椿山では、首なしではない「ヤギョウ」が伝わっています。ひと気もないのに、大きな柴を背負って通るような音がするという怪異で、高岡郡越知町の野老山(ところやま)付近では、錫杖を鳴らしているようなジャンコジャンコという音が鳴るものをいいます。

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文・絵=黒史郎

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