無害で安全な降霊術? キューピッドさんの謎/昭和こどもオカルト回顧録

文=初見健一

「自動筆記」と「ちょっとだけ危ない」魅力

以上の「キューピッドさん」の儀式のスタイルやルールには、ある種の子どもっぽいご都合主義や、いい加減かつ曖昧な部分が多分にあるものの、全体としては非常によくできた「降霊術」だと思う。こうした近代的「降霊術」のルーツであるテーブルターニングの方向へ「先祖返り」したかのようで、「文字盤」を使用する簡易でシステマチックな「コックリさん」よりも自由度が高く、変な言い方だが「降霊術らしさ」が豊かに含まれている。「霊媒」的な「読み」のスキルを必要するという意味でも、「コックリさん」よりも「本格的」だ。

こうしたルールは小中学生女子たちの間で自然発生的に考案され、次第に定型化していったものらしいが、それにしては「降霊術」の本質(?)が見事に押さえられていることに驚いてしまう。自然発生的だったからこそ、人が「降霊術」というものに求める要素を過不足なく反映できた、ということなのかも知れないが……。

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『キューピッドさんの秘密』のカバー裏。「どんなに夢中になっても安心です」「とりつかれない、呪われない」と盛んに「安全!」が強調されているのがおもしろい。一方、本文のあちこちで「細心の注意を払いましょう」「取り憑かれたときはこうしよう」と「危険!」が示唆されている。このアンビバレントな感じこそ、女子的「脱法コックリさん」に共通する要素。

おもしろいのは、「キューピッドさん」はあくまでも「憑依されたり呪われたりする心配のない安全な儀式」であり、「コックリさん禁止令」以降、どうしてもそういう「安全」な代替物が必要だったからこそ考案されたものであるにもかかわらず、やはり「悪霊が降りることもある」とか「タブーを犯すと危険」といったリスクが設定されていることだ。

だとしたら「ぜんぜん安全じゃないじゃん!」とツッコみたくなるところなのだが、しかし、これこそがオカルティックな遊戯の、というより、そもそも「神仏信仰」といったもの全般の必須事項となる部分なのだろう。「危険」は効力・効能を担保するものであり、つまりは「祟らない神」は無力なのだ。「恐怖」や「畏怖」の要素をとっぱらって完全にリスクをゼロにしてしまえば、「キューピッドさん」は遊戯としてもまったく魅力のないものに成り果てていただろう。

うちのクラスの女子たちの間でよく起こった「憑依現象」、つまり鉛筆を握った2人の「降霊者」の腕の動きが止まらなくなり、紙の上にメチャメチャな線を書きなぐり続けるという茶番は、「悪霊が降りてしまった」もしくは「何らかの要因でキューピッドさんの機嫌を損ねてしまった」という失敗の結果だったらしい。

今思い出しても「よくやるよ」という感じだが、この儀式のポイントは「2人の人間による自動筆記」という部分で、ここには確かに一種の危うさというか、「恐怖」が入り込む余地がある。3人で10円玉を操作する「コックリさん」よりも作業的にシンプルなだけに、無意識的にせよ、意識的にせよ、「霊の暴走」は起こりやすかったし、「起こしやすかった」のだろう。身も蓋もない言い方をしてしまえば、この種のオカルト遊戯には必ず何らかの「アクシデント」の表現が必要であり、それが周期的に仲間内でなされることによって、ほどよい「恐怖」が共有され、つまりは「信仰」も共有され続ける、ということだったのだと思う。

 

というわけで、この話題も次回で最終回。「キューピッドさん」を皮切りに続々登場した女子的「脱法コックリさん」の数々を紹介しつつ、それらを生み出した70年代オカルト女子のメンタリティなどについても回顧してみたい。

 

 

初見健一「昭和こどもオカルト回顧録」

◆第12回 エンゼルさん、キューピッドさん、星の王子さま……「脱法コックリさん」の顛末

◆第11回 爆発的ブームとなった「コックリさん」

◆第10回 異才シェイヴァーの見たレムリアとアトランティスの夢

◆第9回 地底人の「恐怖」の源泉「シェイヴァー・ミステリー」

◆第8回 ノンフィクション「地球空洞説」の系譜

◆第7回 ウルトラマンからスノーデンへ!忍び寄る「地底」世界

◆第6回 謎のオカルトグッズ「ミステリーファインダー」

◆第5回 東村山水道局の「ダウジング事件」

◆第4回 僕らのオカルト感性を覚醒させた「ダウジング」

◆第3回 70年代「こどもオカルト」の源流をめぐって

◆第2回 消えてしまった僕らの四次元2

◆第1回 消えてしまった僕らの四次元1

 

文=初見健一

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