使徒ペテロが仕掛けた壮大な暦トリック! 隠されたイエス・キリストの命日

文=斎藤充功

故意に曖昧にされたイエスの命日

暗闘の一端は、意外なことに露頭していた。イエスの命日である。

異論が根強いものの、彼の誕生年月日は明白で、古来のキリスト教の公式見解では、ローマのユリウス暦でアウグストゥス帝の第28年、つまり西暦元年の12月25日の未明である。一方、死没年月日についてはそうした見解はなく、はっきりしない。

meinichi1 歴史上の偉人の生没については、死没年月日がわかっていたとしても、誕生年月日がはっきりしている例はまずない。イエスの例は真逆なのだ。いったい、なぜなのか。

命日から数えて3日め、つまり2日後を復活祭としてキリスト教徒は祝う。しかし、その日取りは単に春分過ぎの最初の満月過ぎの日曜日と規定されるも、史的な年月日を指定し得ない。

教義の核心は彼の復活にあり、これも含め彼の存在は神話ではなく、歴史上、実在していたとする点が要となっている。基本信条たる「使徒信条」の中に「ポンテオ・ピラトの元で苦しみを受け、十字架につけられ、死んで後に葬られた」と明記される通りである。なのに死没した年すら不明なのだ。これでは、復活は神話、作り事に過ぎないのではと疑われても仕方ない。

イエスの伝記たる福音書はどう書いているのか。

「ルカ福音書」はいささか具体的で、ティベリウス帝の第15年に宣教を始め、そしてピラトがユダヤの総督だったときに処刑されたと記す。

同帝の第15年は西暦29年、ピラトの総督在任は西暦26〜36年だが、これらを勘案した西暦29〜36年という範囲内で、復活祭の2日前の金曜日が命日ということになる。

しかし、ここで立ち往生となる。

「マタイ」「マルコ」「ルカ」の名を冠す3つの、いわゆる共観福音書は、ユダヤ最大の祭り過越の祭の当日に、イエスは磔刑死したとしているが、右の範囲内で金曜日となる過越祭の日取りは実在しないからである。

マタイ、ルカによる福音書は「マルコ福音書」を下地にしているが、同書は筆頭弟子ペテロの書記マルコの手になるため、ペテロの意向で曖あい昧まいにされた可能性がここに浮上する。

 

「ヨハネ福音書」は命日が推測可能

第4の福音書と呼ばれる「ヨハネ福音書」は、主旨は同一だが、観点が3つの共観福音書とはだいぶ異なる。そして何よりも、同書からのみ史的な命日を導きだすことが可能である。

同書は語る。処刑日は過越祭の前日、ニサン月の14日金曜日のことだ、と。これが手がかりとなるのだ。

ニュートン以来、天文学計算によって当時のユダヤ暦の復元が試みられてきたが、コンピューターによる計算能力の飛躍的な向上がそれを可能にした。

ユダヤ暦は月齢による太陰暦であるが、やっかいなことにエルサレム神殿の塔から月齢を観測して暦日を決定していた。たとえば細い最初の新月が日没直後に西の地平に見えたとき、次の月が始まることが宣言された。

月の欠けの見え具合、つまりその公転等に起因するぶれを有する月齢はむろん、観測時に曇りである可能性を勘案する必要があるなどの理由で復元は無理とされてきたが、20世紀末葉に至って天候の問題もクリアされ、ついにニサン月14日が金曜日である暦日をユリウス暦換算で確定できるようになった。

結果、先の範囲に収まる日取りが算出され、西暦30年4月7日と33年4月3日の2案に絞られることになった。

ここで重要なことは、共観福音書と比べて「ヨハネ福音書」の史実性が格段に高いにもかかわらず、同書は継まま子こ扱いの存在であり、キリスト教各宗派とも教義上、依拠するのは共観福音書なので、命日は永遠に確定し得ないということだ。

そしてまた、サタンの暗号問題と同様、共観福音書の生みの親ペテロの思おも惑わくが、そう為なさしめているらしいということだ。

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(ムー2018年12月号より抜粋)

文=斎藤充功

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