70年代っ子たちと『恐怖の心霊写真集』/昭和こどもオカルト回顧録

文=初見健一

教室に持ち込まれた『恐怖の心霊写真集』

70年代の小学校の学級文庫には必ず『恐怖の心霊写真集』があった……というのは、若い世代には信じがたいオカルトブーム期ならではの「昭和あるある」だが、これは誇張でもなんでもなく、本当にどこの小学校の教室にもその種の本は常備されていたと思う。大人向けの新書として刊行された中岡氏の『恐怖の心霊写真集』ではなかったとしても、ブームに便乗して続々と出された小学館「コロタン文庫」や勁文社「ケイブンシャの大百科」など、子ども向けの「心霊写真」が数冊は蔵書されていたはずだ。

ちなみに、うちの小学校のクラスの本棚には、中岡俊哉の著作も含めて、各社の「心霊写真集」がズラリと揃っていた。学級文庫というのはクラスの子どもたちが読み飽きた本を持ち寄って成り立っているので、なにかが大ブームになれば、その影響を蔵書の傾向がモロにウケるのである。もちろん担任の先生は嫌な顔をしていたし、「そんなものばかり読むな!」といった小言も口にしていたが、一応は渋々ながら公認していた。ユルい時代だったのだ。

 

うちのクラスに初めて『恐怖の心霊写真集』を持ち込んだのは、オカルトマニアの女子だった。遠慮なく本名を書かせてもらうと松川三夏という女の子で、学級委員を務めた経験もある成績優秀で人望も高い生徒だったが、一方でほかの女子たちと「オカルト部」という団体を勝手に結成し、放課後になると「コックリさん」による降霊実験などを繰り返す「オカルトマスター」の一面を持っていた。旬のオカルトネタは、たいてい彼女を通じて教室に持ち込まれていたのだ。

70年代のガチなオカルトネタに関しては、男の子メディアよりも少女マンガ誌、女性週刊誌のほうが強く、特に心霊系の話題は女子たちが牽引していた傾向がある。当時の「恐怖マンガ」の掲載量は少年誌より少女マンガ誌のほうが圧倒的に多かったことからもわかる通り、もともと「占い」「おなじない」などを特集していた少女誌は心霊系の話題と親和性が高かった。なので、このジャンルは常に女子が最初にトレンドに反応し、新たな話題を教室に持ち込み、それを男の子たちが後追いする形になっていたのだ。

そういう流れで僕は初めて「心霊写真」なるものを目にしたのだが、そのときの「これはマジでヤバイ!」という感覚を今も生々しく覚えている。そのころの僕もオカルト好きの小学生としては人後に落ちないボンクラで、とにかく四六時中「怖いもの」を求めている好奇心の塊だったのだが、『恐怖の心霊写真集』には反射的にドン引きした。文字通りの「恐怖」を感じたのだ。いや、「恐怖」というより、「不吉さ」「禁忌」の感覚だ。そういう衝撃を感じたのは僕だけでなく、クラス中が大騒ぎになって、その日は休み時間の度にみんなが松川さんの机に集合し、『恐怖の心霊写真集』を取り囲んで「キャ~ッ!」とか「ヒエ~ッ!」といった声をあげていた。

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『恐怖の心霊写真集』(中岡俊哉・編著/二見書房サラ・ブックス/1974年)。全体に黒味がかった独特の粗い印刷が特徴。写真はかなり不鮮明なものが多いのだが、それだけに全ページから不可解で禍々しい「邪気」が漂っていた。

 

「心霊写真」の「不吉さ」の根源

今、若い世代の人が『恐怖の心霊写真集』シリーズを見ても、おそらく「なんだ、こりゃ?」という感じになると思う。掲載写真の多くは、ただボンヤリとした煙的なもの、光的なものが写っているだけ。あるいは川の水面、草むら、木肌などの一部が「よぉ~く目を凝らすと顔のように見える」といったものばかりで、「どこが怖いの?」と退屈さをも感じるだろう。

このへんが「心霊写真」第一世代と、工夫を凝らされ(?)、バリエーションにも富んだ「心霊写真」を見慣れて育った以降の世代の大きな差異だと思う。僕らが驚愕したのは、写真に写り込んでいるもののビジュアル的な怖さではない。写っているものが怖いから怖いのではないのだ。なにが写っているかの問題ではない。ただ、不鮮明でよくわからない大量の写真が、「心霊写真」という前提のもとにそこに「ある」ことが怖かった。

「心霊写真」初体験世代のこういう感覚は今となってはわかりにくいだろうし、言葉にもしにくいのだが、言ってみれば、あのブーム初期の「心霊写真」は二次的なものではなかったのである。写真は「複製芸術」とも呼ばれるが、初期の「心霊写真」はコピーされた二次的な「複製」ではなかった。一次的なのだ。つまり、その写真自体がヤバい「なにか」なのだ……という感覚があった。

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「ムー」1980年9月号より。中岡俊哉が当時連載していた「心霊科学講座」。中岡氏を講師とする講義形式で超常現象論を展開する連載だったが、この号では「心霊写真の謎」というテーマで「心霊写真入門」的な内容が語られている。

 

あのブームのころ、テレビはこぞって「心霊写真鑑定」をやりはじめたが、よくあった鑑定結果が「この写真には入水自殺をした人の怨念がこもっている」とか「この写真を持っているとよくないことが起こる」とかいったもので、「早急にお焚きあげをしなさい」と指示されるパターンだった。つまり、どこかにいる「幽霊」をカメラによって客観的に「記録」してしまったという話ではなく、その写真自体が「ヤバい」という発想である。

こうした「心霊写真」観はもちろん今でもあるが、初期の「心霊写真」観は今よりももっとその傾向が強かったと思う。外側に存在する「なにか」をたまたま記録して可視化した二次的なものであれば、怖さは写り込んでしまったものの恐怖度に左右される。が、当時の「心霊写真」はそういうものではなかったのだ。ここにある写真そのもの、ただの紙に過ぎないそのもの自体が、「なにか」の「意思」だか「念」だかによって、不吉に「汚染」されているのである。

そんなものを束にして本にまとめてしまったのが、あの『恐怖の心霊写真集』だった。

それはほとんど犯罪的な書物である。禍々しく危険な「霊的爆弾」のようなもので、それまでの心霊本とは段違いの恐怖を撒き散らしていた。どんな心霊本にもまっさきに飛びついてきた僕も、最初に『恐怖の心霊写真集』を見たときはページに触れるのさえ嫌だった。あの妙に黒色が強調された印刷の毒々しい感じ、掲載されている家族写真などに映る人の顔が、犯罪者のように目隠しの墨でつぶされている感じも含めて、なにもかもが不吉に見えた。ページに触れると、そこから黒々としたインクにこもった「凶」の「霊気」が、自分の体を「汚染」するように思えたのだ。

こうした感覚は「心霊写真」がオカルトネタとしてすっかり定着し、定番化するとともにどんどん薄まっていったが、今でも僕は『恐怖の心霊写真』の第1集だけは、やはりどうもページを開く気がしない。正直言って、この原稿を書くために本来はあの本をちゃんと見返し、当時の感覚を生々しく思い出したいところなのだが、チラッと見ただけでやはりやめてしまった。

小学生時代の衝撃がちょっとしたトラウマになっているせいなのだろうが、僕にはまだあの本が、禍々しい怨念が本の形に化身した「忌物」のように見えてしまうのである。

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「ムー」1980年9月号より。上記と同じく中岡氏の「心霊科学講座」。「心霊写真」の「写し方」や「鑑定法」などハウツー的な話題が語られているが、これは氏が70年代のオカルト児童書でもよく展開していたお得意の話題。

 

初見健一「昭和こどもオカルト回顧録」

◆第29回 1974年『恐怖の心霊写真集』の衝撃

◆第28回 「コティングリー妖精写真」に宿る「不安」

◆第27回 コティングリー妖精写真と70年代の心霊写真ブーム

◆第26回 ホラー映画に登場した「悪魔の風」

◆第25回 人間を殺人鬼に変える「悪魔の風」?

◆第24回 「幸運の手紙/不幸の手紙」の時代背景

◆第23回 「不幸」の起源となった「幸運の手紙」

◆第22回 「不幸の手紙」のはじまり

◆第21回 「不幸の手紙」…小学校を襲った「不安の連鎖」

◆第20回 80年代釣りブームと「ツチノコ」

◆第19回 70年代「ツチノコ」ブーム

◆第18回 日本産ミイラ「即身仏」の衝撃

◆第17回 1960年代の「古代エジプト」ブーム

◆第16回 ユニバーサルなモンスター「ミイラ男」の恐怖

◆第15回 昭和の「ミイラ」ブームの根源的な謎

◆第14回 ファンシーな80年代への移行期に登場した「脱法コックリさん」

◆第13回 無害で安全な降霊術? キューピッドさんの謎

◆第12回 エンゼルさん、キューピッドさん、星の王子さま……「脱法コックリさん」の顛末

◆第11回 爆発的ブームとなった「コックリさん」

◆第10回 異才シェイヴァーの見たレムリアとアトランティスの夢

◆第9回 地底人の「恐怖」の源泉「シェイヴァー・ミステリー」

◆第8回 ノンフィクション「地球空洞説」の系譜

◆第7回 ウルトラマンからスノーデンへ!忍び寄る「地底」世界

◆第6回 謎のオカルトグッズ「ミステリーファインダー」

◆第5回 東村山水道局の「ダウジング事件」

◆第4回 僕らのオカルト感性を覚醒させた「ダウジング」

◆第3回 70年代「こどもオカルト」の源流をめぐって

◆第2回 消えてしまった僕らの四次元2

◆第1回 消えてしまった僕らの四次元1

文=初見健一

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