あの世を語る理論物理学者にして唯心論者・保江邦夫の世界

文=久野友萬

素領域理論による解釈

「口から出任せというのはね、本当はよい表現なんですよ」

聴衆に向かって保江邦夫氏がいう。

60人の席はすべて埋まり、8割以上が女性だ。大学生くらいの若い女性から保江氏と同年代の方まで、来場者の層は幅広い。彼女たちが保江氏の一挙手一投足をじっと見ている。

保江氏は、1949年に日本人としてはじめてノーベル物理学賞を受賞した、湯川秀樹博士の最後の弟子である。湯川博士が提唱した素領域理論を量子力学の本流のロジックで解釈した理論物理学者なのだ。

その一方で、武道家としての顔を持ち、冠かん光こう寺じ眞法の創始者でもある。そしてUFOや異星人、神や天使の顕現といった、じつに奇妙な経験を経て、独自の哲学体系、唯心論を思想家として探究する。

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冠光寺眞法の練習風景。保江氏はまったく力を入れていないのに、相手はコロリと転がってしまう。

 

人は、どう生きればよいのか。

この世の何が正しいのか。

保江氏は、科学とスピリチュアル、哲学と武道という、相反するジャンルを横断して道を示す。

深い体験と思索を科学の実証主義で裏打ちした保江氏の話は、重いテーマを軽妙に扱い、笑いを交えながら、類いまれなほど面白い。

「口から出るに任せる。この意味をよく考えてみましょう。つい口から出る言葉というのは、神様の言葉なんですよ。神様が人間の口を通して、お言葉をお伝えになるわけです。

たとえば、絵を見せられて、どうでしょうと聞かれたとき、すばらしいですね、と答えた後で、つい、どこが? と口から出たりします。それが本音なんですよ。神様のお言葉なんです」

 

あの世はこの世のすぐそばにある

保江氏は、講演活動の中で自分の体験した不思議なことや、その体験から何を学んだのかを集まった人たちに話す。

「死んだらどこへ行くのか? 唯物論という考えがありますね。この世には物質しかないと。そう考える人は物理学者に多いんですが、人間が死んだらどうなるのかと彼らに聞くと、何もなくなる、意識が遠のいて終わり、とおっしゃる。霊魂も来世もない」

その日の講演テーマは「上手な死に方」だった。死をテーマに、物理学者らしい切り口を加えながら、自分の体験を語っていく。

「唯物論的な考えは間違っています。もし死んで何も残らないのなら、人はどんな悪いことだってします。何だってしますよ。何百人殺しても何億円盗んでも、死んでしまえば全部チャラになるんですから。しかし、そんなことをする人はいません」

死ねばすべてが終わるわけではないと、私たちは直感的に知っている。だから、この世でめちゃくちゃなことはしないのだと、保江氏はいう。

「でも、死んだ後のことは死んだ人にしかわかりません」

保江氏は臨死体験を経験している。心停止の間に神秘体験をしたのだ。そのときに知った世界の構造が、保江氏の唯心論の裏づけとなっている。

死後、人間の魂は極楽に行くと仏教ではいう。では、極楽はどこにあるのか? 仏教では西方浄土、つまり西の果てに極楽はある。

では、果てとはどこなのか? もとをたどれば、仏教発祥の地であるインドを指していたのだろう。しかし、21 世紀の今ではどうなのか? 物理法則は絶対なので、この宇宙に存在する以上、魂もまた物理法則に従わねばならない。だとすると世界の果てにある極楽は、宇宙サイズの果て、宇宙空間の果てである138億光年の彼方になってしまう。

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科学が発達した今、「西の果て」といえば138億光年の彼方。死後の魂は宇宙規模の旅をするのか?

 

「魂が極楽へ行こうとすれば、光の速さで移動しても、138億年かかるんです。あなたが死んだら138億年後に極楽に着きますよといわれても、納得できないですよね」

「あの世」は「この世」のすぐそばにないとおかしいと、保江氏はいう。両者が隣りあっていなければ、臨死体験が起きるはずがないからだ。

あの世とこの世が密着していることを物理学で説明できるのか? 物理学を含め、科学が扱うのは客観的な事実だ。科学があの世を扱うことはない。なぜなら、それは心の中にある、主観的なものという前提だからだ。

保江氏があの世を物理学で解き明かすなら、死後の世界がたんなる主観であり宗教観であるという一般的なコンセンサスは崩れ、現実として存在する客観的な世界ということになる。

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(ムー2019年6月号より抜粋)

文=久野友萬

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2019/05/09

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