怪談――赤いかんざし/黒史郎の妖怪補遺々々

文・絵=黒史郎

妖怪補遺々々(ようかいほいほい)

ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」! 連載第57回は、大好評の京丹後シリーズ第4回。怪談「赤いかんざし」の現場検証で補遺々々します。

 

赤いかんざし悲話

京丹後市久美浜町に伝わる哀しいお話です。

正徳(1711~1716年)のころ、友重(ともしげ)というところに、ならず者がおりました。その名は甚右衛門。

彼は妻子ある身でしたが、放火や恐喝といった非道な悪事を働き、村人から何度も忠告を受けていたのに聞く耳をもちませんでした。

そんな彼も成敗されることとなりました。

鯨谷(地名?)に穴を掘って、そこに家族もまとめて生き埋めにされてしまったのです。

 

甚右衛門にはふたりの子がおり、ひとりは12歳の娘。このとき、油池(久美浜町)の大屋へ子守りに出ていましたが、子供だけを残すのも後が怖いということになって連れ戻され、荒縄で縛られると穴に落とされました。

頭から土をかけられながら娘は「赤いかんざしが折れる!」と悲痛な叫びをあげたといいます。

それからまもなく村では、赤い火玉が飛ぶのを見られました。

そして、まるで野火が広がるように疫病が蔓延したのです。

村人たちは甚右衛門や娘の祟りだと恐れ、氏神の境内に【四人塚】を建てました。

この塚は後に【四社荒神】として祀られたといいます。

 

四人塚は現在……

この話は実話なのでしょうか。それとも、事実ではない昔話なのでしょうか。

 

資料にある「友重」という地名と「四人塚」「四社荒神」、これらの情報でネット検索をすると、1件のみ見つかりました。久美浜百珍の会が運営されているホームページです。

そこに小学6年生の女子が作った『四人づか』という紙芝居が紹介されています。

ホームページから紙芝居の中身をすべて見ることはできませんが、塚の外観を描いた絵と、捕らえられた甚右衛門(ホームページでは甚右エ門)一家の絵が公開されています。

どうも、塚は実在していたようです。

では、その塚は今も残っているのでしょうか。

手掛かりはわずかですが、足を運んで捜してみることにしました。

 

タクシーで友重へ向かう途中、ドライバーの方に四人塚について尋ねてみましたが、聞いたことがないとのこと。どこで降ろしますかと聞かれたので、友重であればどこでもいいと答え、本当に適当なところで降ろしてもらいました。

 

まず、塚がありそうな場所に向かうことです。社寺などに置かれている可能性を考えましたが、まずは友重を適当に歩いてみることにしました。

歩いて10分ほどで廃墟のような建物が見えてきます。

なんとなくそちらに足を向けますと、なにかがあります。墓碑のようなものに見えます。

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ここは社寺の敷地ではなく、「友重集積所」という古い建物の裏側にある空地です。

こんなところにひっそりと、なにがあるのだろうと前のほうに回り込んでみますと、

「南無阿彌陀佛 明和九年」と刻まれています。

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この字と、そして塚を囲む石を見て鳥肌が立ちました。

目の前にあるのは、ホームページで見た、紙芝居に描かれていた塚だったのです。

このときばかりは、なにかに導かれていると感じました。

甚右衛門と娘たちの魂は、もう鎮まっているのでしょうか。

私は塚の前で手を合わせながら、紙芝居を作った小学生の女の子に感謝しました。

 

<参考資料>

井上正一「奥丹後物語 草稿」『季刊 民話』創刊号

久美浜「百珍」WEB「四人づか」100chin.kyoto-fsci.or.jp/kami/kamitop.html

 

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文・絵=黒史郎

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