不二阿祖山太神宮に三柱鳥居が建立された!!

不二阿祖山太神宮に三柱鳥居が建立された!!

古史古伝「宮下文書」に記された幻の富士王朝は実在した。現在、「宮下文書」と古地図、さらには地元の伝承をもとに、富士王朝の中心地ともいうべき不二阿祖山太神宮が再建され、日本超古代史に興味をもつ人々を中心に注目を集めている。

実は、その不二阿祖山太神宮の境内に、このほど、古代の三柱鳥居が建立された。ちょうど参道の石段を登ったところに、いわゆる門のように三柱鳥居が立っている。このまま進むと、真ん中を通れないかと思うかもしれないが、そもそも神社の参道の真ん中は神様が通る道であり、参拝者は両脇を歩かねばならない。その意味で、実に神道理念にかなった三柱鳥居といえよう。

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古代から現代にまで続く三柱鳥居としては、京都の太秦にある木島坐天照御魂神社、通称、蚕の社が有名だ。平安京を建設した謎の渡来人、秦氏が建立したものだ。秦氏はシルクロードの彼方、西アジアからやってきたユダヤ人原始キリスト教徒で、彼らの神秘思想の中心、絶対三神を表現したのが三柱鳥居である。

三柱鳥居蚕001

これと同じものは、奈良の大神神社の参道近くにある大三輪崇敬会の敷地内にもある。興味深いことに、ここには三柱鳥居について、造化三神を表現したものだと説明されている。造化三神とは『古事記』の冒頭に登場する三柱の神々で、この世に最初に現れたひとり神である。古代史研究家の大和岩雄氏によれば、『古事記』編纂に秦氏が関わったことは間違いないと指摘しているが、まさしく日本における造化三神は秦氏が信仰した絶対三神、すなわち御父と御子と聖霊なる神々のことなのだ。

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こうした三柱鳥居の奥義は、密かに伝承され、やがて茶道にも影響を与えるようになる。日本の茶道は禅の思想がベースにあるが、実は、その所作はキリスト教の影響を受けている。一説に、千利休とはサン・ルカのことだともいう。興味深いことに、茶道に使われる蓋置には、蚕の社にある三柱鳥居を模したものがあり、三つ鳥居の名前で知られている。

三柱鳥居

秦氏は殖産豪族だった。シルクロードから伝来した絹をもとに、莫大な富を築いた。彼らの子孫は、今日、財閥となった者もいる。有名なのが三井家である。呉服問屋から三井財閥、そして三越百貨店など、今やだれもが知る三井家は秦氏の流れをくむという。ために、彼らは京都の蚕の社を崇敬し、その庭にしつらえた井戸には三柱鳥居を建てている。この三柱鳥居は現在、東京の向島にある三囲神社の境内にある。

三囲神社三柱鳥居001

しかし、なぜ秦氏ゆかりの三柱鳥居が不二阿祖山太神宮に建立されたのか。もちろん、そこには深い理由がある。「宮下文書」によると、富士王朝には中国から渡来した徐福が関わっている。ご存知のように、徐福を派遣したのは秦始皇帝である。それゆえ、日本において徐福は秦徐福と呼ばれ、その子孫が秦氏になったという伝承がある。秦氏には、4世紀に朝鮮半島を経由して渡来した秦氏と紀元前2世紀に中国からやってきた徐福の秦氏がいるのだ。

しかも、両者のルーツは同じ。つまり、徐福の秦氏もまた、ユダヤ人なのだ。「宮下文書」には、このことが記されているのだ。

10月17、18日、富士吉田で開かれる地球フェスタ2015において、不二阿祖山太神宮と「宮下文書」ゆかりの史跡を訪ねるツアーが開催される。本誌の三上丈晴編集長と八幡書店の社主で、霊界アナリストの武田崇元氏が秦氏はもちろん、「宮下文書」の秘密を参加者に語る予定である。興味のある方は、ぜひ、この機会に不二阿祖山太神宮の三柱鳥居を見学してみてはいかがだろうか。

takaama

【問い合わせ先】
FUJISAN地球フェスタWA2015実行委員会
担当 かもめツアー福田、中尾

080-4440-1597

http://www.chidama.net/contents/muu.html

 

 

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