最後の剣豪・本堂平四郎の波乱万丈な人生

文=東 雅夫

知られざる「鬼平四」の生涯

晩年の平四郎

孫を抱く晩年の本堂平四郎。

 

奇書『怪談と名刀』の著者であり、明治維新直後から昭和20年代に及ぶ激動の時代を「最後の剣豪」として生き抜いた快男児・本堂平四郎の波瀾万丈な生涯には、数多くの逸話が残されている。その一端は、本誌2015年10月号2色刷り特集「刀剣怪奇伝説」でも触れたが、ここには若き日と晩年と、ふたつの印象的なエピソードを新たに紹介しておきたい。
小学校入学直後から、田宮流と新陰流の遣い手である伊東藤馬の指導を受けるようになった平四郎。藤馬は剣術修業の一環として、真剣を空中に放り投げ、落ちてくる刀の柄を正確にキャッチするという危険な修練を、平四郎に課する。
しかし平四郎は臆するどころか、この練習に熱中、刀の回転を1回から2回、3回と増やしていった。そしてある日、あやまって真剣の刃の部分を掴んでしまい、右手の人差指を第2関節の上からスパリ……奇跡的に指はつながったものの、以後、その指だけ斜めにくっついていたという。それでも平四郎は淡々と練習を続け、藤馬を感嘆させたのだった。

結婚当時の平四郎
結婚当時の平四郎。武人らしい精悍不敵な面構えだ。

 

若くして東北一円に敵なく「鬼平四」の異名をとり、警察署長就任後も、数多くの武勇伝で知られた平四郎だが、一方で大変な子煩悩でもあったらしい。
その晩年、初孫誕生の知らせを今か今かと待ちわびていた平四郎。ある朝、突然、霊感に打たれて「生まれた、生まれた! 男の子だ」と大声をあげたという。驚き呆れる家族。
ところが何と、本当にその時刻、長女は男児を出産していたのだった。
これもまた、若き日の剣術修業の賜物であろうか。

書簡集
愛娘に書き送った書簡集。家族愛が伝わる好著だ。

 

平四郎の生涯には、まだまだ謎とされる部分が多い。筆者は今後とも、子孫の皆さんの御協力のもと、その全容に迫りたいと考えている。本堂平四郎に関する情報をお持ちの方は、ぜひ編集部宛てに御連絡をいただけると幸いである。

文=東 雅夫

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