
陸軍中野学校の創設者・秋草俊少将の真実「日本のスパイ王」
異色の軍人がくぐった情報戦争
帝国陸軍の諜報員養成機関として知られる中野学校の初代校長・秋草俊とはどんな人物だったのか? ノンフィクション作家・斎藤充功の新刊「日本のスパイ王」によって、謎の人物の数奇なる生涯が明らかになる。
終戦までに2000人以上の諜報員を養成した陸軍中野学校――その初代校長・秋草俊少将は、校長解任後に単身ベルリンに渡り、特務機関「ハル特」を通じて工作活動についていた。そして、戦後は……。
「この先、赤軍は吾々の所在を血眼になって探すことになろうが、例え捕虜となっても、哈特機関であった矜持だけは持っていてもらいたい。私は捕虜となっても決して諸官のことは口外しない。本日を以て哈特は解散する。今後の諸官の健闘を祈るばかりである」 ――1945年8月15日、ハルビン特務機関での秋草俊、最後の訓示より
異色の軍人として情報の世界に身を投じ、極寒の地で果てた〝スパイ・マスター〟秋草俊の、数奇なる生涯が紐解かれる!
「日本のスパイ王」 斎藤充功・著/本体2000円/学研プラス
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