平成日本を席巻した聖者サイババが2019年に再び生まれる!?

文=文月ゆう

サイババを日本に広めた名著

『理性のゆらぎ』という、いっぷう変わったタイトルの本をはじめて目にしたのは、1993年の初夏だった。

六本木通りの、今はなき青山ブックセンターの新刊コーナーにひときわ高く積みあげられていたので、自然に視線が吸い寄せられたのだ。

とはいうものの、意味がよくわからないタイトルだし、装幀はどこか垢抜けない印象で、一度も名前を聞いたことのない著者。しかし、この書店で山積みにされているからには話題作に違いない。そう思って手に取り、著者近影を見た瞬間、読もうと決めた。ちょうどそのとき、チベットの求道者の写真が何枚も掲載された本を読んでいたのだが、彼らの表情に通じるものを著者近影に感じて、興味をそそられたのだ。中身をろくに見もしないで、レジへ直行した記憶がある。

帰宅後に本を開くと、期待していたよりはるかに面白く、たちまち引き込まれて一気読みし、いろいろな意味でショックを受けた。なぜなら、そこに書かれていたのは、ムー的な話題に慣れっこの筆者でさえ目を白黒させるような数々の奇跡を、こともなげにやってのける聖者の話だったからだ。

世界中に信者を持つ、インドの聖者サティア・サイババ。

 

それだけではない。当時はまだ日本であまり知られていなかったインドの伝承医学アーユルヴェーダやインド占星術についても、たくさんの不思議な体験談をまじえて書かれていた。

その筆致はきわめて生々しく、臨場感にあふれ、書き手のとまどいや驚きがストレートに伝わってきて、これがフィクションではないことをうかがわせた。それにしても、東大を卒業した将来有望な若い科学者が、こんなことを大真面目に書いて、この先、大丈夫なのだろうか……。他人様のことながら、真剣にそんな心配をした。

 

おそらく、そんなふうに感じたのは筆者だけではなかったのだろう。この本は、次作『アガスティアの葉』とともに、またたく間にベストセラーとなり、著者の青山圭秀氏と、南インドの聖者サティア・サイババ(以下、サイババと表記)の名前は、多くの人が知るところとなった。

 

何もない空間から神聖灰や宝飾品が出現!

「奇跡は、(人々を)私のほうに振り向かせるための名刺にすぎない。だが、この名刺がなければ、だれも私の栄光のかけらにさえ気づかない」

自身が起こす奇跡について、サイババはこう述べている。この「名刺」は効果絶大で、日本のマスメディアもこぞって取りあげた。

なかでもよく知られているのは、ビブーティ(神聖灰)をはじめ、さまざまなものを物質化することだろう。

ビブーティとは一般に、ホーマ(護摩)のときに焚きあげた木や牛糞、供物などの灰を指す。この灰は、「すべてのものは灰に帰する」という無常の教えの象徴であり、これを儀式に用いたり、指につけて額や体に3本の線を描いたりする。

サイババは、このビブーティを何もないところから出現させる。

ビブーティ(神聖灰)を物質化して信者に与える。

 

たとえば、サイババは午前と午後の2回、信者たちの前に現れ、ダルシャン(神や聖人の姿を見ること)を与える。何時間もそのときを待つ信者の前にサイババが姿を現し、人々の間をゆっくりと歩き回ると、一同は手を合わせて礼拝し、なかには感激のあまり涙を浮かべる人もいる。サイババは、歩きながら人々が差しだす手紙を受け取り、ときおり右手を下に向けてクルクルと回す。すると、その下で待ち受けていた信者の手の中に、ビブーティがはらはらと落ちていく。

また、逆さにした小さな壺から、どう見ても壺の容量を超える大量のビブーティを出現させることもあった。

筆者は、サイババの熱心な信者の方からビブーティをいただいたことがある。もう15 年以上前のことだが、今もそのビブーティからは、ジャスミンのよい香りがする。

ビブーティだけでなく、サイババが宝飾品などを物質化して信者に渡すことも有名だ。このときもやはり、手を下に向けてクルクルと回す。すると次の瞬間には、ネックレスや時計が、サイババの手に握られているのだ。

無理からぬことだが、この類いの話は、必ずトリックを疑われる。サイババの奇跡についても例外ではなく、ビブーティや品物はあらかじめ仕込まれたもので、タイミングを見計らって手品師よろしく取りだすのだ、と断じる人も少なからずいた。

しかし、手品では説明のつかない現象が数多く起こっていることも、また事実なのだ。

サイババの奇跡を目の当たりにしたという人から、そのときの様子を聞いたことがある。

の人は、ダルシャンに与あずかろうと、数千人の信者と一緒にサイババを待っていた。運よく最前列に陣取ることができたという。サイババは、その人をちらりと見ただけで通りすぎたのだが、奇妙なことが起こった。目の前の、何もない空間の一郭がキラキラと輝いたかと思うと、赤いバラの花が一輪、ポタリと落ちてきたのだ。

 

あっけに取られてバラの花を見ていると、そばに座っていた人が「よかったですね、ババからの祝福ですよ」と、声をかけてくれたという。

どうやらこの人が見た「キラキラと輝く空間」は、サイババの物質化にはつきもののようで、青山氏の著作にもしばしば記されている。

しかし、これなどもまだ、手品だと批判される口かもしれない。では、世界各地のサイババ帰依者のもとに、ビブーティやアムリタが出現しているという現象は、どう説明すればよいのだろう。帰依者が周到な準備をして、いかにも奇跡が起こったように見せかけているのだろうか。

だとしたら、何のために? 仕込みのために時間と労力が奪われるだけでなく、ひとつ間違えば、トリックの片棒を担いでいると世間から冷笑されかねないような行為を、わざわざする必要があるのだろうか?

宝飾品の物質化にしても同じことだ。もしもトリックだとしたら、それを実現するために、いったい何人の人を抱き込み、口封じをしなくてはならないのか。筆者はサイババの信者ではないが、すべてがトリックだと考えるほうが、むしろ難しいように思える。

サイババのメダルからアムリタ(神聖蜜)が流れだしている。

 

プレマ・サイババがまもなく誕生する!?

ただ、サイババが2011年に逝去したことについて、首を傾げる向きもある。というのは、サイババは生前、自分が95歳で亡くなり、その8年後に再び生まれてくると予言していたからだ。その計算でいくと、2020年に没し、2028年に新しい肉体をもって誕生することになる。

 

おそらく、同じような疑問を持つ人や問い合わせが多かったのだろう。サイババの死について、サティア・サイ・オーガニゼーションは、わざわざ公式見解を発表している。それによれば、サイババが95歳を迎える年は、太陽暦では2020年だが、インド暦(太陰暦)で計算すると2011年であり、予言どおりだという。

またサイババは、次の生では「プレマ・サイババ」と呼ばれることも予言している。プレマとは愛を意味し、この人物によって「万人が神である」という福音が広められ、すべての人が神への道を歩むという。プレマの風貌もすでに明かされている。西洋絵画に登場するイエス・キリストを思わせるような、端正で穏和な男性だ。

もうお気づきかもしれないが、2019年は、サイババの死から8年後に当たる。筆者の周囲でも「そろそろお生まれになったのでは」という期待に満ちた声をときおり耳にする。

サティア・サイババが多くの人のグルとして歩みはじめたのは14歳のときだったが、プレマも誕生後、ある程度の期間を置いてから人々の前に姿を現すという。そのときを楽しみに待ちたいと思っている。

 

(ムー2019年11月号より抜粋)

文=文月ゆう

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